トップページ > 戦国時代 > 2011年10月01日 > vdTiu9er

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人間七七四年
剣豪将軍足利義輝

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剣豪将軍足利義輝
530 :人間七七四年[sage]:2011/10/01(土) 17:54:51.05 ID:vdTiu9er
典太光世を惜しげなく放り投げた後、鬼丸國綱を右手に持った。
そしてまた同じ様に反乱軍に斬り込んで行く。
鬼丸國綱の刃がこぼれると大包平、大包平の刃がこぼれると九字兼定、その後は朝嵐勝光、綾小路定利などなどの名刀が本来の職務を遂行させそして去って行ったのでした。
「公方様御前に利剣をあまた立てられ、度々とりかへ切り崩させ給う御勢に恐怖して、近付き申す者なし」
と当時の記録に残された位でした。

反乱軍にとって永遠に続くかと思われた恐怖は、簡単な理由で終わりを迎えます。
全ての刀が使われてしまい、義輝の腰に差さっている童子切安綱のみとなったのでした。
「童子切安綱が斬れなくなれば全て終わる…」
反乱軍はそう思ったに違いないのですが、義輝は童子切安綱の鯉口を切らなかったのです。
そして、鎧を脱ぎ出し、最初に座っていた床几の上に置くと表書院から奥へと進みだしたのでした。
この時、逃げ出していた松永久秀が鉄砲隊を連れて戻ってきて義輝に向けて発砲。
しかし、当らなかったと伝えられています。

義輝がそのまま奥に進み、奥の間へ足を踏み入れた時、戸の脇に隠れていた池田小三郎に足を払われます。
不意の事で義輝が転んだ上に、小三郎は障子を倒し掛けてその上から鑓を突き立てて止めを刺したのです。
足利義輝、享年30歳

剣豪将軍足利義輝
531 :人間七七四年[sage]:2011/10/01(土) 18:00:06.09 ID:vdTiu9er
そのうちに、弓の弦も切れ、ついには白兵戦となり、太刀を手にすると、「されば斬り死にせん」と叫び、邸外に踊り出て、敵の手勢を斬って斬って斬りまくりました。

義輝は己の体力が及ぶ限りに敵の手勢を斬り、あるいは刺すなど獅子奮迅の働きを見せ、刀の刃がが血脂で凝り固まるとそれを放り出して邸内にとって返し、新たな1本を抜いてはまた邸外へと舞い戻っていきます。

松永・三好の軍勢も義輝の凄まじい剣腕を恐れ、業を煮やすと、襖と障子を盾にして義輝を取り囲み、そうして四方から義輝を押し包み、背後に控えていた兵士が槍で義輝の臑を払い、義輝がうつ伏せに転んだところに無数の襖と障子で義輝を覆いつくしました。

動きを封じられた義輝はその襖、障子越しに何度もめった刺しにされて遂に絶命します。義輝が最期に手にしていたのは、源頼光が大江山の酒呑童子を退治したといわれている太刀、童子切安綱でした。


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