- 戦国ちょっといい話28
877 :人間七七四年[sage]:2011/10/01(土) 00:19:42.17 ID:2aFH7PPE - >>876
狭山藩庁の狭山陣屋から、きっちり障子掘が発見されたのはやっぱり北条だなw
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- 【DQN】森長可【鬼武蔵】
583 :人間七七四年[sage]:2011/10/01(土) 12:35:16.10 ID:2aFH7PPE - 小牧長久手までは、秀吉を中心にしてるとはいえ秀吉−丹羽−池田の三頭体制だったからな。
池田が死んだことでトライアングルが崩れ秀吉の勢力が圧倒できるようになった。
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- 戦国ちょっといい話28
886 :人間七七四年[sage]:2011/10/01(土) 14:24:46.22 ID:2aFH7PPE - > 豊臣家臣としての主張は三成のほうが筋通ってるのに
そこは議論があると言うか、先に秀吉の遺命を破ったのは三成の方だというフシがある。 少なくとも秀吉が死んだ途端、対家康の政治闘争を始めたのは間違いなく三成。
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- 戦国ちょっと悪い話28
148 :人間七七四年[sage]:2011/10/01(土) 22:19:49.30 ID:2aFH7PPE - 慶長20年(1615)5月8日、大阪夏の陣は『豊臣秀頼御切腹』の報が響きわたり、幕府方は
いずれの陣においても万歳と喜んだ。 が、この時、伊達政宗の陣より突然、鉄砲がつるべ打ちに撃ち放たれた。 その音は天地に響き、諸陣に動揺を与えた「何事が起こったのか!?謀反か!?」 しかし加賀前田家の陣では、当主前田利常自身が馬を乗り回し下知した 「謀反であるなら、両御所様(家康・秀忠)の御旗本に駆けつけ、その警備に我々はかかる! そうでないのなら者共静まり、下知を待つべし!」 このように言って諸陣を駆けまわったため、皆暗い夜の明けたような思いをし落ち着いた。 後で前田家の重臣である山崎閑斎(長徳)はこの時のことを 「実に古今の大将というべき活躍でした。23歳の御大将の采配、お見事でした」 と、褒めたという。 (桑華字苑)
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