- ★★★名族 六角氏について語ろう★★★
313 :人間七七四年[]:2011/09/15(木) 07:39:06.88 ID:Hr/Jv2T+ - 『お湯殿の上の日記』永禄十一年九月二十二日条の
「ひかしよりてうしとのかつさいて候につきて」を 「六角義秀と織田信長が足利義昭を奉じて上洛」と解釈するには、 @「てうしとの」を「こうしとの」の誤記と仮定 A「こうしとの」を「かうしふとの」=「江州殿」と読む B「江州殿」を六角義秀と推定 という3段階の論証が必要だけど、Bは 近江守護なら「江州殿」と呼ばれるはずだ、という希望的推測であり、 少し前に「江州」と呼ばれた人は足利義晴であることを考えるとかなり苦しい。 そもそも六角義秀が近江守護ということ自体を証明するのも無理だろうけど。
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