- 戦国ちょっといい話28
367 :sage[]:2011/09/01(木) 00:54:00.60 ID:2OZgzHLc - 防災の日&毛利隆元の命日らしいので
天文七年二月下旬から三月上旬にかけて、山口では火事が多発していた。 二月二十五日、二十七日、翌月三月三日、七日と、放火なのか事故なのかはわからない。 なかでも三月七日に本町で発生した火事は「七日、本町家百はかり燃候」と記録されている。 この大火事のときに、鎮火のために奔走した集団がいた。 去年の天文六年十二月に、山口に人質としてやってきた毛利隆元が従えていた者達である。 隆元の山口での人質生活を書き留めている「毛利隆元山口滞留日記」には、 「此方衆走あひ、火をしつめられ候、其時内藤彦太郎殿爲御使、御館様御褒美にて候」 と記されており、具体的に何をどうしたのかは書かれていないが、大内義隆から褒美をもらうほど活躍したらしい。 のちに「優柔不断」と父・元就に評されてしまう隆元だが、一大事という時には部下を適切に動かすことはできたのだ。 まあ、隆元が自主的に動いたんじゃなくて「人手が足りないから手伝って!」とか言われたからかもしれんけど。 山口で人質中の隆元十六歳と、その配下のちょっといい話。
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