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人間七七四年
戦国時代の食事5膳目
信長の政権構想
【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る4

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戦国時代の食事5膳目
379 :人間七七四年[sage]:2011/08/29(月) 15:28:21.55 ID:o4IApyad
>>377
いやさ、細かいけど計算上は4,7合でしょう。
これは仕事してる成人一般男性だから
してない時とかその他系の女性老人とか含めると
もう少し平均が少なくなるかなってこと。
あくまで総論トータル的に5・5合を毎日必ず必要
食べてたかと言われると、実際はもう少し少ないぐらい
でなかったかな、ということ。

>>376
なんか最初から勘違いしてるようだけど、副食は
うちは取らないのだってば。おやつとかジュースとかもなし。
今時そんなやついるか?と言われたことあるけど
クーラーもないし電気温水器もないしシャワーもないし、腹が
減ったらお茶のんでるぐらい。

電気ガス水道台足しても1万円いかないぐらいだし
これは冷蔵庫なんかの電気代であって実際はかなり節約
してる感じはする。

話戻して現代でもかなり節約していれば5・5合は多いと思うし
昔はもっと消費カロリーが少なかったろうからちょっと
多く感じるな、ということ。
反論じゃないが、現代と比較してるのはみんなのほうで
飛騨の山奥でついこないだまで井戸水使った生活をしてたし
この夏も米よりイモやトウモロコシで昼はすませてるし
冬は大根汁ばかり。
こういうのは戦国はともかく江戸期とあまり変わらないような
シンプルな生活だと思うし、あくまで実感ということね。3人で
半分は畑仕事みたいなもんだし。

風呂も今でも薪でたくし夏なんか川で水あびておしまいも多いし
かなりシンプルでしょう。
こういう生活はあくまで実感で5・5合は多いなと思うし
昔だったらもっと少なくてもいい、と思ってるということ。
バカとかキチガイと言う前にこういう生活を10年ぐらいして
どのくらいのエネルギーが必要かを計算じゃなくて
実際に体験してそれから判断したほうがいいんじゃないかな。

わしは少なくとも体験談だから反論されても困るというだけのことで
貧乏自慢みたいでこういう話はあまりしたくないんだけどね。長くてごめん。
信長の政権構想
553 :人間七七四年[sage]:2011/08/29(月) 15:49:31.62 ID:o4IApyad
話戻して悪いが、信忠が生きてたら秀吉は謀反を
考えなかったか、という点。
第一報あたりで信長の死は知っても信忠までは
正確に確認できてたのだろうか。

秀吉があれだけのリスクを犯して戻ってきたのは
やはりなんらかの意思があったからだろうしそれは信忠
生存がどこまで影響を及ぼしていたか。

普通に考えて536さんのいうことが正しいとは思うけど
秀吉が本気を出して簒奪にかかる可能性は
「信長相手なら無理でも信忠だったら」みたいな感じで
かなりあったのではないだろうか。

親信忠派と言ってもそれは強力な親が認めて生存してた
状況なわけでその親が死んだ時点で「秀吉をとるか信忠を
とるか」みたいな状況をうまく作り出してゴチャゴチャやれば
結局史実通りに次男三男からめて秀吉がなんかやらかしてたんじゃないかって。

もちろん信忠が次男三男うまくまとめて家臣もうまく
まとめてしまえば秀吉も大変だろうけどそういう
駆け引き的なものに持ち込んだら秀吉ってかなり
強いとは思うしね。
要は信忠次第という540にもどるわけだけど
秀吉にはからんでいく十分な勇気があったようには思ってる。
【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る4
34 :人間七七四年[sage]:2011/08/29(月) 15:51:28.88 ID:o4IApyad
厨だと失礼で、神がかってるようなぐらい、の方も
いるようだからさ。
戦国時代の食事5膳目
382 :人間七七四年[sage]:2011/08/29(月) 18:54:46.82 ID:o4IApyad
>>380
減らしたのは単純に身長も低かったし
必要エネルギー自体も少なかったろうってことだけど
このあたりにみんな引っかかるのかな。

それと緊急時や合戦時は10時間労働もあったろうけど
当時はいくらなんでも平時の兵士はそこまで労働しないでしょう。
夜なんかは暗くて行動できないし朝も平均で明るくなるのは6時以降
とすると起きてる稼働時間が12時間で食事や休息もあったろうから
8時間でもフル可動は多いぐらいだと思う。
これも減らした理由の一つ。

武士限定でも、合戦とかそこまでの移動というのはかなりの緊急時
でしょう。
一番合戦や移動が多かったのは秀吉の時ぐらいとは思うけど
それでも年柄年中合戦してたわけじゃない。
彼は城をとりまいてそこでまったり攻撃も多いし。

だから総合的に5・5合というのはあくまで緊急移動時の
かなり多めの支給で、それを「平均的」と捉えるのは少し
中央値が違うように思えて、それも減らした理由。

もちろん緊急時はもっと食べたかもしれないし上で指摘されたけど
物々交換用の分もあるから5合以上支給されたたというのは記録通り
事実だとは思うんだ。
そして基本全部くっちまった、のも貴重で捨てるわけないから事実とは
思うけど、これは平時以外の稀な例であって、いくら戦国の武士でも
毎日5・5合食べてた、というのはにわかには信じがたい、ということで。

さらに少し話それるけど、現代で16100のはともかく
当時は夜になったら必ず?寝てたし、娯楽もなくてなにもしてない
状態も多かったろうから、これも必要カロリーを減らした理由の一つ。

このあたりはそれこそ「戦国にいたこともないくせにそこまでわかるのか」と
言われたらなんだから主張する気はないけど、明治〜昭和初期の100%百姓
の我が家は爺婆、仕事以外の時はとにかく寝てたもの。
夕は4〜5時には帰ってきて7時にはガーガー寝てた。

だから昔は全部人力だから今よりカロリーが必要というのは
わかるのだけど、その分シンプルな生活だから今より「多く必要」とも
なかなか言い切れないとは思うんだ。これは自分が百姓系だから
よくわかる。おにぎり2こずつで1合、3食食べても3合、もう2個多く食べても
4合、これに大根汁、海の方なら魚汁、こんで十分と思う。

少なくとも飛騨の山奥の百姓はこれ以上食べるような「裕福」な生活では
なかった。
武士もそうで働き盛りなら5〜6合、ガキやおっさんで4〜5合、これが緊急
稼働時のエネルギーであって日常時はもう少しすくなくなるぐらい
と言う感じで現代の百姓さんと当時の武士さんたちが大体同じぐらいの4〜4.5ぐらいかなってね。
これなら現代人の16100と比べてもそんなにおかしな数値じゃないんじゃないかな。
信長の政権構想
557 :人間七七四年[sage]:2011/08/29(月) 19:40:27.01 ID:o4IApyad
>>554
傍証にはなるけど直接的に「知ってた」とするには
少しだけ弱いかなと。
実際にあの時間経過では「信忠も生存未確認」とまでなら
言えたけど「100%死んだ」とはなかなか確認できないぐらいだろうし。
第一報を送ったのが京の人としてね。

それと話それるが中川の方が先に本能寺情報を知ってるかも
しれないし秀吉とすれば「誤報と判断されていいから少しでも決断を
遅らせる、自分の味方につけておく」というのが第一義だろうから
「信長単独以上に親子同時のほうが重要である」というのも
当たり前以上の解釈に捉えるのも少しむつかしいところがあるかもしれない。

次々に報が入れば「京で変事勃発」は100%信じたろうが「信忠も」というのは
場所が近いから連絡は行ってたろうが「確認」というのが当時は不可能だから
このあたりはなかなかむつかしいというか面白いというか。
大返し自体は、オカルト、に行っちゃうからそうじゃないレベル?限定で
いろいろ面白いとは思うのだけどね。
戦国時代の食事5膳目
385 :人間七七四年[sage]:2011/08/29(月) 20:28:24.82 ID:o4IApyad
>>384
そそ、肉体労働したらコマメに休憩するからその分引いて
8時間は多い、っていったんだけどね。

それと決して反論じゃないけど、自分は先祖代々の百姓で親は
野麦峠やってるし重労働はよくわかるよ。
わしも働きに出た頃は週一休みで30日休みなしなんてザラだった。
54日連続出勤のタイムカードはまだ持ってるしね。

そういう経験則から言うのだけど今の学者さんの調査や数字は
そういう実体験とはかなり実感として違う。
江戸暗黒史観が見直されたのはいいことだけど
再びまた「そうじゃない、農業革命前は〜」という言い方をよく聞くので
少し長引いて話をしてるだけ。

決してそっちの言ってることを否定してるわけじゃないし間違ってるというわけでもないよ。
ただ別のとこでも「産業革命前に〜〜できない」みたいな論をこのところ
よく聞くから、そういうのがまた流行りだしたのかなってちょっと気になってた
ものでね。
日本史も世界史もヘタすると自分で調査せずに先行データをさらに孫引きして
解釈してやれ平均年齢とか数値で答えろ、とか見かけるから。

話戻して確かに昔は重労働だったし全部手作業ではあった。
ただ武士に5・5合支給されてたからといって毎日彼らが必ずそのぐらいを
食べてた、という結論は少し多いと思うしそれはあくまで緊急時稼働時で
平時はまた違うのでは、という一般論がこちらの主張。

それにまた反論受けそうだけど経験だと
少ない時は少なくなんとかする、農閑期にごっそり食べて太る
田植えでやせる、とかこういう話でこっちの苦労もおわかり頂けないかな。
「人間は食べダメ」できないという反論を受けたこともあるんだけど実際に
収穫期後にごっそり食べて太ってはまた働いて痩せる、とかいろんな
生活があったんだけど、データではあんまりそういうのみかけないものね
やっぱり平均とか年間消費が〜とかになって。
だから、調べる、と言われてもこちらは経験があるから「調べる」こと自体を
あまり重視してないような部分もある。

決して軽視したりしてるわけじゃないからその点はご理解頂きたいの
だけど。うちで食べてた量が382なんだけど、こうやって生きてきた、
というのも立派な実体験調査というように自分は思うので。


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