- 次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5
106 :人間七七四年[sage]:2011/08/06(土) 10:14:49.58 ID:OHWXxdIb - 「一個人」という今うっている雑誌で、戦国特集やってた。
明智がなぜ本能寺の変を起こしたか?という謎で、怨恨説で見逃せない記載があった。 信長が光秀のドタマを折檻した、という話は作り話だと俺も思っていたが、 フロイスの本と、稲葉家譜に共に載っているというのだ。 稲葉家譜では、殴ったさいに光秀のカツラまで取れておちたという屈辱的な内容。 髪の薄くなった俺は、光秀が内心激怒していた気持ちがよくわかる。
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107 :人間七七四年[sage]:2011/08/06(土) 10:27:22.81 ID:OHWXxdIb - 稲葉家譜をググってみた。
ttp://blog.livedoor.jp/nobunaga_1534/archives/51361754.html 信憑性にやや難があるとされる『稲葉家譜』に、「本能寺の変」4日前に裁定が下った明智家と 稲葉家の家臣をを巡るある騒動が記されています。 天正10(1582)年5月27日付けで、信長の裁定を伝えるため堀秀政が記した稲葉貞通(一鉄の次男) 宛ての文書には、稲葉家を出て明智家に仕えていた「那波直治を稲葉家に返還する」「当面の扶 持は信長が扶助する」といったことが書かれています。 那波直治よりも前に斎藤利三も同様に稲葉家を去って明智光秀に仕えており、稲葉一鉄・貞通父 子は、立て続けに明智家に家臣を引き抜かれたような形になって、外聞も悪いので信長に返還要 求の訴訟を起こしたようです。 那波直治はこの裁定に従い、稲葉家に戻されたようですが、利三に対しての信長の裁定は、自刃 を命じるものでした。しかし、これは斎藤道三の旧臣で信長に仕え、利三とも親交が深かったと 思われる猪子兵助の取り成しで死罪を免れ、利三は引き続き光秀に仕えることを許されることに なったようです。(文書の日付を考えると解決したのは本能寺の変前日ぐらいになるような気が しますが・・・?) 斎藤利三は、義妹が四国の長宗我部元親に嫁いでいる間柄でもあり、上記の件が事実であれば、 四国討伐目前のこの状況で、信長に不満を抱いていた斎藤利三が同じく四国政策に不満を持って いたと思われる主君・明智光秀に信長打倒をけしかけた可能性も否定できないかもしれません?? 信長に強い不満を持つ斎藤利三(あと少しで死ぬところだった)が光秀の身近にいて、 接待の席で折檻されて帰ってきた光秀は、斎藤利三に同調して本能寺の変を決意したか?
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110 :人間七七四年[sage]:2011/08/06(土) 13:21:33.74 ID:OHWXxdIb - >>108
折檻って話自体後世の作り話、ということについては、軍記物ならそういえるかもしれない。 だが、 ルイスフロイスの「日本史」に載っている点からして、本当っぽい。 藤本氏の本も、怨恨説を重視して一部書き直さなければならんかもな。
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