- 豊臣恩顧どもはカス(福島加藤浅野・・・)
606 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 16:49:33.31 ID:VxQdvJ2m - >>605
偶然だろ。 意外に中堅の大名は若死にが多いぞ。 この3人は、長寿といって良い年で死んでる。 浅野長政 享年65 真田昌幸 享年65 堀尾吉晴 享年68 この2人は、いずれも脳溢血と思われる死に様、年が近いこと 仲間内と言って良い交友関係から考えて食生活もほぼ同じと 考えられる。 前田利長 享年53 池田輝政 享年50 この二人は梅毒と言われている。 加藤清正 享年50 浅野幸長 享年38 関ヶ原後の大名を簡単に暗殺できるのは、小説の中だけのこと
|
- 戦国ちょっと悪い話27
147 :人間七七四年[]:2011/07/24(日) 23:07:12.45 ID:VxQdvJ2m - それでは、甲州武士の鑑、横田甚五郎こと逃げの甚五郎の話
武田勝頼滅亡の端緒となった高天神城後詰の一件 主君に「高天神上の後詰は無用、捨て殺しにされよ」という書状を送ってひと月、城内の糧食も 尽きかけた今、甚五郎は、総攻めで城内に乱入した敵兵を如何に殺すかを考えながら城の図面 に目を通す甚五郎の元に同僚の相木市兵衛がやってくると耳元で囁いた。 「主将の岡部殿が、城を打って出るとのことでござる」 「馬鹿なことを、城を枕に討ち死にすると評定で決めたはず」 「それは、後詰がある時の話、後詰が見込めない今、飢え死に覚悟で籠城するより、城外に打って 出て華々しく死に花を咲かすもよし、あわよくば、敵中を突破して命を拾うもよしとの仰せじゃ」 「浅慮なことを、落城必死の今、一人でも敵を殺すのが我らの意地の見せどころのはず」 気色ばむ甚五郎に相木市兵衛が、さればでござると話を切り出した。 数日後、高天神城主将岡部元信が城兵と共に城を打って出て、さんざんに奮戦したが、ほとんど の兵が殲滅された。しかし、その中に横田甚五郎と相木市兵衛の名前はなかった。 両名は、最後の突撃直前に間道から城外に脱出していたのだ。 「ではお館様に、良しなにお伝えくだされ」 そう言って躑躅ヶ崎館に向かう甚五郎に別れを告げ、相木市兵衛は本貫地の上州に向かった。 武田勝頼の前に帰還の報告を行った甚五郎は、高天神城からの脱出を賞賛され、感状と太刀を授けられ ようとしたが、おめおめと生き残った自分が受ける謂れはないと断った。 しかし、高天神城から一人だけ抜け出し、おめおめと生き残ったという汚名は、生涯、甚五郎に付き纏い、 やがては逃げの甚五郎と大久保彦左衛門に嘲笑される羽目になるという横田甚五郎のちょっと悪い話。 余談 相木市兵衛のその後、武田滅亡後、北条に属すも徳川方の同族に攻められ、本拠の相木城を奪われ、 挙句の果てに木次原の戦いで討ち死にしたとさ
|
- 韓国民兵にボコられて逃げ帰った侍の何が強いの?
178 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 23:40:44.05 ID:VxQdvJ2m - >>177
慶長の役はプロレスだよ。 呆けの太閤は、妄想でガチ侵略を命じてるが、派遣軍は、やる気なし。 まあ、プロレスの常道として、全州陥落で虐殺ショーを展開したが、 後はリゾート気分で保養地の倭城を築いて、のんびりしてたら、明軍が 一応、チョンにいい格好する必要があるから相手してくれとプロレスを 持ちかけたのが三路同時攻撃の裏だよ。 泗川では、互いのドジからガチバトルになっちまったがね。 李舜臣最後の海戦にしても、中国水軍の主将が金もらって日本軍と 話を付けてるのに、チョンの英雄様は、ガチ暴走。 おかげで日本水軍とのガチバトルに巻き込まれた中国水軍が最後に切れて 李舜臣を射殺したのが真相だよ。
|