- 戦国ちょっと悪い話27
119 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 11:59:07.83 ID:VoXGSr6O - 「オニギリ」異聞
小田原征伐も終わり秀吉の天下が民衆の間にも広まると、 大名や武将の多くは著名工の作刀を贈答品としてあるいは家宝として意識せざるを得なくなった。 大名間では正宗や吉光が持て囃された。 (`・ω・´)「・・・(ウチにもなんかあったな・・・)」 さる大名「斯波家に繋がる最上様なら、童子切や鬼丸にも劣らぬ、なにか名物をお持ちでしょう」 (`・ω・´)「確か、オニギリ・・・丸?といった物があったと思います」 (´・ω・`)「・・・(鬼切・オニキリだっけ?)」 足利将軍家からなんの因果か斯波兼頼を経て最上家に伝わる名刀に、この前後に悲劇が起こる。 (´・ω・`)「・・・銘は安綱?聞いた事がある様な、無い様な・・・」 (´・ω・`)「国綱なら先日聞いたけど、有名なんだろうな・・・」 (´・ω・`)ノシシ < キン、カッ、ガキン、ガキッ (´・ω・`)「・・・(「国」の字に読めるよね?)」 光安「いかがなさいましたか?」 (´・ω・`)「・・・なんでもない・・・」 北野天満宮に現在伝わる国宝「鬼切丸」 呼び名が幾度も変わり、持ち主も変わり、銘まで変えられた名刀の運の悪い話
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120 :119[sage]:2011/07/24(日) 12:15:04.23 ID:VoXGSr6O - http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%AD%E5%88%87
すいません、国宝でなく、重要文化財でしたorz
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732 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 12:47:21.11 ID:VoXGSr6O - 誤・妻の家の家督相続を留守政宗と言い争った
正・妻の家の家督相続を留守政景と言い争った
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733 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 12:51:34.01 ID:VoXGSr6O - >>731
まとめスレのデフォルト
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126 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 15:56:48.57 ID:VoXGSr6O - >>123
「安」綱の字が「国」綱の字に改竄された鬼切の銘 写真:茎(なかご)の部分 http://samidare.jp/yoshiaki/box/01.JPG 当時は国綱の方が知名度があり、人気だったとも言われる・・・らしい http://samidare.jp/yoshiaki/note?p=log&lid=38707
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129 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 16:02:18.55 ID:VoXGSr6O - >>128
http://samidare.jp/yoshiaki/note?p=log&lid=38707 「鬼切」「鬼切丸」「オニキリ」「オニギリ」「オニキリマル」「オニギリマル」で最上家でも色々記述されてます。
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133 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 16:45:37.01 ID:VoXGSr6O - >>131
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなんとやら
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135 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 16:52:08.57 ID:VoXGSr6O - >>131
連投ながら、絵文字は否定するのに「w」は許容する人物。 アンサイクロペディアや戦国ストレイズ、戦国大戦、殿といっしょ、ひこにゃんとか「かわいいもの」や「自分のイメージに沿わない改変」は見ない方がいいらしい。
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136 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 17:01:25.23 ID:VoXGSr6O - 「お義へ 早く会っていっぱいお話しようね よしあき」
暗殺のイメージが多かった武将だけに、シスコンは十分傍目から見て面白いと思うのだが。 手紙が書かれた当時既に40過ぎの兄と妹なら、そのギャップは尚更。
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139 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 17:43:46.87 ID:VoXGSr6O - >>138
Wikiリンクの中にある髭切の「兄弟刀」扱い 流れを変えるために別な話を 壬生家の御家存続の為に 天正十八年、豊臣秀吉が小田原北条氏攻撃の軍を率いて京都から出発した。 常陸の佐竹氏や下野の宇都宮氏らは秀吉に応じて、反北条の意を決した。 それに対して、壬生義雄と皆川広照は後北条氏の元に参陣して小田原城に籠城。 しかし、七月小田原城は開城、壬生義雄はその直後に病死した。享年四十六歳。 義雄は男子に恵まれず、娘の伊勢亀がいるだけで、義雄の死によって壬生家は所領を没収され滅亡してしまった。 しかし話はここで終わらない 壬生氏の旧領は結城領に吸収され、壬生の旧臣は他家への仕官より、帰農の道を選んだ。 江戸幕府が開かれ、京の藤原北家中御門流の「壬生」氏が権現詣で日光東照宮への道中、下野鹿沼の壬生旧臣が粗末ながらも身形を揃え、京・壬生氏の道中警護を申し出た。 京・壬生氏はこれを断ったものの、道中の共や用事を下野壬生旧臣に許した。 京・壬生氏と下野壬生氏は「縁も所縁もない」、単に苗字が「壬生」であっただけである。 2年3年と下野壬生旧臣からの申し出にから、道中の御供も当たり前のようになり、京・壬生氏からは下野壬生旧臣に金子や酒が用立てされた。 壬生義雄の娘、伊勢亀の婚礼も決まり、所領は無いながらも伊勢亀の嫡男誕生を待ちつつ御家再興を願った壬生旧臣たちだったが そこは歴史のやるせなさ 伊勢亀には女子しか生まれず、壬生家の再興の願いは絶たれた
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140 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 17:47:40.45 ID:VoXGSr6O - ×2年3年と下野壬生旧臣からの申し出にから
○2年3年と下野壬生旧臣からの申し出から 見直しが不十分でした
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763 :人間七七四年[sage]:2011/07/24(日) 18:19:28.80 ID:VoXGSr6O - >>758
とりあえず貼っておきます http://samidare.jp/yoshiaki/note?p=log&lid=38707
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