トップページ > 戦国時代 > 2011年07月12日 > qQAyu2wW

書き込み順位&時間帯一覧

27 位/152 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数1000000000000000000010002



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
人間七七四年
信長の政権構想

書き込みレス一覧

信長の政権構想
54 :人間七七四年[sage]:2011/07/12(火) 00:19:24.80 ID:qQAyu2wW
征夷大将軍自体は、令外官司=臨時の官職であったわけだから
信長の時も鎌倉幕府の時同様に○○大将軍と作るって手もあるんだろう。
信長の政権構想
68 :人間七七四年[sage]:2011/07/12(火) 20:48:11.73 ID:qQAyu2wW
当時の人間にとって、暦への干渉というのは大ごとだったみたいだね。


ある人、瓢箪から駒の出でたる繪をみて、「これは何としたるいはれぞ」と人に問ふ。
「それさへ御存知なきか。そふじてまき駒と申すは、山に山椒をまひて、馬になし申」といふ。
「それほど重寶なる物を、何とてこゝもとには作らぬぞ」と云。
「こゝもとでは、人が盗むゆへに、むかしより作られぬ」といへば、
「おろかなことぢや。よき馬一疋にても、大分の金をとる事ぢやに、いか程番をしても、くるしからぬ事ぢや。善惡、此春作らふ」とて、
上々の山椒十石ほど買ひとり、山を掘らせ、ことごとく蒔ひて、四五日して、「やうやう生え時分ぢやが、遅ひ」とて、つれの人に問へば、
「それはいつ比御まき候」「此四五日さきにまいたる」といえば、「生ゑぬが道理よ。天火、地火に物種をまいては、生へぬが不思議でもなひ」と云。
「げにも、其やうな子細があらふと存た。さては暦など疑う事ではない」といはれた。



※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。