トップページ > 戦国時代 > 2011年06月20日 > 8VVy8ye5

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忍法帖【Lv=17,xxxPT】
人間七七四年
で、戦国最強の忍者集団はどこなんだ?
戦国ちょっと悪い話26
戦国ちょっといい話27

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で、戦国最強の忍者集団はどこなんだ?
304 : 忍法帖【Lv=17,xxxPT】 [sage]:2011/06/20(月) 08:57:34.24 ID:8VVy8ye5

戦国ちょっと悪い話26
718 :人間七七四年[sage]:2011/06/20(月) 21:54:57.53 ID:8VVy8ye5
先日こんなニュースがあった

仙台伝統のすずめ踊り、市民らの要望で「復活」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110619-OYT1T00334.htm

伊達政宗の時代より続く「すずめ踊り」が、震災からの復興を目指す仙台の方々を
勇気づけている。

ところでこの「すずめ踊り」だが、これが生まれた経緯は此の様なものである。

関が原の翌慶長6年(1601)、伊達政宗は新たな本拠地を仙台に定め、ここに青葉城を建設する。
この時政宗はこの青葉城の石垣建設のため、泉州堺より石工を呼び寄せた。
後にhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1225.htmlで見られるとおり、土地改良のため
毛利家牢人川村重吉を重用したことからも解るように、伊達家はの木技術は、能力が
低かったようである。

ともかくもその石工などの活躍もあり建造は進み、慶長8年、政宗はじめ伊達家の面々が
青葉城に移る「仙台城移徒式」が行われた。
祝福の雰囲気の中、石工たちのうち4名が、政宗の前で浮かれて跳ね踊った。
即興であったと言われるが、もしかするとその故郷、堺の踊りであったかも知れない。
これがすずめ踊りの原型となったという。

と、その踊りが仙台に定着したのは何故か。

青葉城の石垣工事が済むと、伊達政宗は石工たちにこう伝えた。

「大変ご苦労であった!ところでお前たちには石垣を造ったことで、我が城の構造という
最重要軍事機密をすっかり知られてしまった!そのため帰国することは禁じ、生涯、
この仙台に住んでもらう!」

とまあ、そんなわけで堺の石工たちは仙台に抑留。このため彼らが政宗の前で踊った踊りも、
仙台にて継承された。
しかしその踊りは色々な経緯を経て、今も仙台の象徴の一つとして、仙台市民の心を
励まし、楽しませているのである。

仙台、すずめ踊りの由来である。
戦国ちょっといい話27
310 :人間七七四年[sage]:2011/06/20(月) 22:46:02.57 ID:8VVy8ye5
清正が土木技術を本格的に身につけたのは、朝鮮役での倭城などの建設だろうね。


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