- 長谷堂城の戦い 2 【直江兼続VS最上義光】
945 :人間七七四年[]:2011/06/18(土) 04:41:13.25 ID:Qm9wVRUw - 直江自ら殿(しんがり)となって山形盆地からの撤退を図った長谷堂撤退戦について最上義光は家臣にこう語っている。
「公、誠に景虎勇武残りたりけると斜にならず感じ賜う。直江は古今無双の兵(つわもの)なり、と」 最上記(斯波家伝)
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- 長谷堂城の戦い 2 【直江兼続VS最上義光】
946 :人間七七四年[]:2011/06/18(土) 04:48:59.56 ID:Qm9wVRUw - 長谷堂撤退戦のその見事さは後々まで地元で語り草となり、家康も「あっぱれ汝は聞き及びしよりいや増しの武功の者」と評している。
また、旧日本陸軍参謀本部「日本戦史」において撤退作戦の見本として取上げられている。
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- 長谷堂城の戦い 2 【直江兼続VS最上義光】
947 :人間七七四年[]:2011/06/18(土) 04:53:21.01 ID:Qm9wVRUw - ちなみに伊達から派遣され東軍勝利後に上杉追撃に参加した留守政景隊約3,000名は殆ど名を挙げることもなく直江の撤退を許している。
それを最上が弱いため直江を取り逃がしたと政宗に報告している辺りに伊達軍の脆弱さが垣間見える。
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- 上杉景勝VS伊達政宗
544 :人間七七四年[]:2011/06/18(土) 05:18:42.51 ID:Qm9wVRUw - 藤田信吉に同調して逃げた栗田刑部一族とその後上杉家で後を継いで福島方面を守備した嫡子栗田国時を混同しているだけ。
だから話がグチャグチャになってる。
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