- 上杉景勝VS伊達政宗
521 :人間七七四年[sage]:2011/06/13(月) 00:53:27.28 ID:p5O1+z7F - すでに徳川が引かない限り闘う決意をしてたのは藤田同様に出奔し捕縛され殺された
栗田国時をみればあきらか。すでに板坂卜斎の書によれば2月には上杉討伐の話がでていた。 7/14で甘粕は城将だった白石城へ派遣され明け渡しの準備のための仕置きをして 一両日のうちに去るように言われており、ここで白石城には甘粕の代わりに詰めていたのが 榎並・本村・上泉・車らだとわかるのである。 (この4名はすぐ福島城へ移転して甘粕縁者の登坂式部が白石守将になる) 7/19までにたびたび白河口を堅固にするよう譜請や方針を伝えてるし 家康の江戸出陣に呼応して景勝や直江が会津を出発してるとするのが 常識的判断であり7/22書状を見れば白石から甘粕景継がやってきて 直江と合流し長沼方面まで出張ってきていたのがわかる「此方の御用は甘粕・・・」 甘粕らが会津にいると誤判断しているのは7/28の景勝から甘粕への書状だろう。 ここに出てくる会津にいる甘粕は長重の方であり、景勝が会津にも白河にもいないのがわかる。
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