- 長谷堂城の戦い 2 【直江兼続VS最上義光】
927 :人間七七四年[sage]:2011/05/29(日) 00:07:31.40 ID:rFEKsUTK - 誰も偽文書だとは言っていない。
不自然な部分があるから日付なども含め検証が必要ではないかという話をしている。 最上表から引き上げた理由が本当に一揆なのかも含めて。 >談が断と理解するべきなのは明白だろ。 当て字がよくある時代だけど、今回のが「申し談す」でなく「断し申す」 にしなくてはいけない意味がよくわからない。 仮に断じ申すだとどういう意味になるのかもはっきりしない。 ケアレスミスを責めるつもりはないよ。 ただ、あくまで「(伊達や最上のことを?)断し申す」と読まなくては いけない理由があるのなら教えてほしい。
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- 【歴史の】徳川家康VS前田利家【IF】
447 :人間七七四年[sage]:2011/05/29(日) 01:37:21.06 ID:rFEKsUTK - なぜ上杉の話になっているのかしらんが、
島津家家臣の日記には「景勝はまず大坂で秀頼様に拝謁した。これは内府様 がそうするようにしたのか、景勝自身の判断なのか、話題になった」とある。 普通は実質天下人になった家康に先に謝罪すべきなんじゃないかという見方 をされていたということ。景勝はそれをしなかった。 実質的に降伏だろと言われればその通りだが、プライドにかけて上洛などで きなかった会津征伐前とはだいぶ事情が変わっている。関ヶ原後に降伏する なら最初から抵抗するなというような意見は的外れ。
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- 長谷堂城の戦い 2 【直江兼続VS最上義光】
929 :人間七七四年[sage]:2011/05/29(日) 03:23:27.52 ID:rFEKsUTK - 奉行衆の真田宛て書状をどう読んで、どう訳したのか示していないのに納得するも
しないもないでしょう。普通に読めば上杉と伊達や最上が内通していたなんて証拠 にはならないのだから。「この書状が内通の証拠だ」と言いながら「原文をどう解 釈すればそうなるのかは言いません」それなら誰でも新説唱えられるよ。 分からないなら分からないでもいいんだよ。 サブはたまに熱くなってるけど、別に喧嘩するような場所ではないんだし。 ともかく、肝心な部分を明らかにしないのではいつまでたってもまともな議論にな らないでしょう。 >納得したくない気持ち 根拠も示さずに研究者の誰も唱えていない珍説を納得してくれというほうが無理だよ。
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- 長谷堂城の戦い 2 【直江兼続VS最上義光】
931 :人間七七四年[sage]:2011/05/29(日) 10:00:55.33 ID:rFEKsUTK - >>930
新説の根拠にしたいならきちんと訳さなくては。 奉行衆の書状には「申談」がほかに2度出てくる。 「(家康が)秀頼様取り立てらるべき儀にあらず候に付きて、各『申談』し、 西の丸の留守居追い出し〜」 「自身(大名)の事は申すに及ばず、家老まで人質を相しめ申候、九州、西 国、北国一篇に『申談』候、但し、羽肥州は〜」 だいたい意味は分かるでしょう。 >>904で >7/29付書状の伊達や最上については景勝談じ申し候者と書いてあり、 >景勝から直接確約を得た話で としているようなので、この考えに沿って勝手に訳させてもらえば、 「景勝が決定し(こちらに)申した話では、『関東は即時に破滅 させられるでしょう。伊達や最上も大坂に自分の妻子は申すに及ばず、 家老からも人質を取っている。下向の時も政宗や最上は(または東国の 多くの大名も)いつでも秀頼様へ忠節を申し上げるということを申し置 いていった』ということです。こちらの様子をお伝えしました。あなた も(こうした状況)に合わせ、是非ともご忠節を尽くす時です」 奉行衆は伊達や最上からも人質をとっていることや、下向の時に秀頼に 忠節を尽くすと申し置いていったことを、景勝から聞いたと解釈したの かな? 秀家と輝元の書状は 「今度各相談(奉行衆の書状に対応しているのでこれが『申談』と同意)し、 戦に及びました。上方は一篇に申合(これも『申談』)わせ、ことごとく大 名の妻子を人質にとりました。景勝が『申談上者』、関東を平らげることが できるでしょう。あなたも太閤様の御懇意を忘れていなければ、この節は秀 頼様に忠節を尽くすのが肝要です」 『申談上者』はサブ的な読み下しは『断じ申し上げるは』かな?。こう読む と意味は「決定して(秀頼様に)申し上げた」または「秀頼様にお味方する ことを決定した」だろうけど、>>904によると前者か。 「決定して(秀頼様に)申し上げたことは『関東はきっと平らげられるでし ょう』」となるのかな
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- 長谷堂城の戦い 2 【直江兼続VS最上義光】
933 :人間七七四年[sage]:2011/05/29(日) 16:59:29.10 ID:rFEKsUTK - 答えられない時の常套句はいらないよ。
奉行の書状はサブ君の訳を想像して書いたんだよ。 あまりに無理矢理な訳になったので、きっと君の訳とは違うのだろう。 どこが君の訳と違うのかぜひ指摘しておくれ。
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- 【歴史の】徳川家康VS前田利家【IF】
453 :人間七七四年[sage]:2011/05/29(日) 17:08:04.30 ID:rFEKsUTK - 西軍は豊臣政権内での反家康勢力
上杉は結果的には豊臣政権への反逆者 ここの比較は難しいな。 上杉は西軍挙兵によって反逆者の汚名をすすぎ、逆に、サブのいうように 東日本のリーダーとして行動している。直江が「天下への御奉公のために 白石城を伊達に奪われたことは忘れて、和睦を続けるべきだ」としている。 上杉は豊臣政権の東日本のリーダーとして、最上・伊達を従えて反逆者家 康の本拠・関東へ侵略する計画を立てていたので、自身の縄張りを広げる ための行動でもないんだよ。
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