- 島津義弘を有名にした木崎原の戦い
302 :人間七七四年[sage]:2011/05/29(日) 02:04:14.61 ID:H/LTQzBS - 諸県郡=119,967石
宮崎郡=25,994石 那珂郡=71,226石 児湯郡=35,044石 臼杵郡=25,149石 総計=277,380石 だいたい元和期調べ 寛文あたりになると30万石超えてたっぽい
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304 :人間七七四年[sage]:2011/05/29(日) 03:38:26.83 ID:H/LTQzBS - 比較でもなんでもなくて約12万石というのは
天正19年の『日向国五郡分限帳』で算定される島津領諸県郡の石高 地米も含むので稲の収穫量とは比例しないけど ちなみに明治期の旧高旧領取調帳だと諸県郡は168,073石
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307 :人間七七四年[sage]:2011/05/29(日) 06:16:28.10 ID:H/LTQzBS - 那珂郡で一番大きな所領を持っていたのは飫肥伊東家の約4万
佐土原島津と高鍋藩領が1万2千ずつ、それと旗本伊東の3千と天領3千 諸県郡は平安時代には国内最大級だった島津荘の中枢だった地域 都城盆地を中心として古くから拓けてる土地、面積も讃岐と同程度はある
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