- 戦国ちょっといい話25
860 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 09:20:08.09 ID:pqLZfEf6 - 関ヶ原前夜、諸大名が勝ち馬に乗るべく様々な保険をかけたのはみなさんご存知の通り。
肥前は鍋島家の保険のかけ方はちょっと変わっていた。 6月のある日、鍋島家の重臣葉次郎左衛門が直茂に呼ばれた。 次郎左衛門「殿、なにか」 直茂「ここに銀五百貫がある。お前に預けるゆえ、東海道の村々に行って、ありったけの米を買い付けてこい」 次郎左衛門「はっ。して、その米はいかがいたしましょうぞ。大坂に送りますので?」 直茂「いや、そのまま村々の庄屋に預けておけ。おって沙汰する」 次郎左衛門「かしこまって候」 当時の米一石は銀十匁ほど。つまり銀五百貫で少なく見積もっても三万石は軽く買えた。 こうして東海道各地に買い付けた米は後に東海道を引き返してくる家康に献上され、 東軍諸部隊の兵糧として消費されたという。 鍋島の軍勢は西軍に属して、結構手柄立てたというのに、戦後鍋島家に一切の咎めが無かったのはこの米献上が効いたとされる。 鍋島直茂のちょっとどころではない大変あたまのいい話でした
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864 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 17:58:53.95 ID:pqLZfEf6 - >>463
そうした声は当時からあったと言われる。なんといっても、鍋島勝茂は伏見城攻撃に参加してるしね。 常陸の佐竹なんかは表立っての攻撃はしとらんのに常陸ボッシュートだったのに比べりゃ不公平だろ〜、と。 そう言われた家康はこう言ったという。 「お前たちは誰の米食って戦ったと思ってんだ」
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866 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 18:31:19.54 ID:pqLZfEf6 - >>465
>早くから家康に 確かに直茂は個人的に家康を買っていたのは確からしい。 けども、例えば同じ国持ち大名で遠国なところも一緒な長曽我部さんちの盛親クンは問題無用の領地ボッシュートだったわけだし。 長曽我部さんのとこは小牧・長久手の時から家康の先物買いだぜ? っていうか島津・鍋島の処遇に比べて長曽我部の処遇厳しすぎだろjk
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873 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 20:02:49.58 ID:pqLZfEf6 - 佐竹のところは義宣が三成と仲良かったのもあるけど、それよか「伊達と協力?ごめんこうむる」だったんじゃないかな?と。
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876 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 21:58:19.29 ID:pqLZfEf6 - ちなみに佐竹は間違いなく清和源氏だけど、徳川氏が清和源氏という関連でこういう話が伝わっている。
時は1566年。やっと三河をまとめあげた松平家康が突如 「今日からウチは徳川家だからね。そこんとこよろしく」と宣言した。 突然のことに目を白黒させる家臣の前に家康が取り出したのは一枚の家系図。 それによると徳川の御先祖様は八幡太郎の弟、新羅三郎義光の甥の子のそのまた子供の末子らしい。(ややこしいw) で、その御先祖、義季が上野国徳川郷に領地したことから「徳川氏」と名乗れるらしい。 なるほど、ウチは源氏直系でござったか!武田、今川にも負けない名門でござるな! 感心する家臣一同。 家臣達は知らなかった。その家系図、家康が前関白近衛前久に頼んで、「銀三百貫、駿馬一匹/毎年」の約束で手に入れた、という事を… 家康のちゃっかりした調子いい話
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878 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 22:29:31.64 ID:pqLZfEf6 - 織田の次の天下っていうよか、16松平の中での差別化と仮想敵の今川・武田に対抗するためじゃないかな?
清康の時は国内の吉良さん対策だったけど、確か吉良さんに全力で否定されて引っ込めてなかったっけ?
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880 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 22:53:23.51 ID:pqLZfEf6 - >>879
あーそうなんだ。詳しい解説を誠に忝なくござ候。 しかし家康も本姓を源氏→藤原→源氏→豊臣→源氏と動かして、まったく忙しい人だぜw
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