- 戦国ちょっと悪い話25
612 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 00:42:02.66 ID:NiQXTJ70 - >>610
違う違う。 なかったわけじゃない。 ただ、別に儒者主体ではなかった。 仙薬作りを命じられた方士が、出来ないと言って逃げたことから、 キレて方士や学者の中から荒唐無稽なことを言ってる者や歯向かう者を選んで皆殺しにしたのが通称「坑儒」事件。 中に儒者が含まれていたことから、儒者は「坑儒」といったが、 実態は別に儒者ピンポイントの弾圧ではなく、反体制の気のある学者全体の弾圧が目的。 実際墨者は急に文献から消えてたりする。
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626 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 22:16:38.01 ID:NiQXTJ70 - >>618
孔融の場合は有為な人材だったと思うがな。 彼は当時としては珍しい、儒者の枠には収まらないタイプの学者で、むしろ自分は孝行で名を馳せつつも、 「窮地に陥り、親と他人のどちらかしか救えない時、親が尊敬に値しない場合は親を捨てて他人を救え」 と言うなど、中国史全体で見ても極めて特殊な合理主義者だった。 どっちかというと、曹操が傘下に入る前からの対立関係を清算できなかったことが大きな理由。
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628 :626[sage]:2011/04/11(月) 22:28:28.53 ID:NiQXTJ70 - >>626
>どっちかというと、曹操が傘下に入る前からの対立関係を清算できなかったことが大きな理由。 分かるとは思うが、曹操「の」傘下ね。
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