- 戦国ちょっと悪い話25
610 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 00:07:04.19 ID:EIL712g9 - >>607
そういえば始皇帝の時、「焚書」はあったけど「坑儒」は存在しなかったらしい。 儒者が後世創作した受難話なんだと。
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- 戦国ちょっといい話25
857 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 00:57:38.45 ID:EIL712g9 - 藤堂高虎の家来に、平佐牛之介という武士が居た。
大坂の陣の時のこと、この牛之介、伊賀の百姓を足軽にして連れてきていた。 牛之介は自分の連れてきた足軽たちが備に置いて戦闘の緊急事態に対処できるか試そうと、突然 「それっ!敵が出てきたぞ!」 と叫んだ。この時彼の連れてきた足軽たちはみなしっかりと戦闘準備をした。 それを見て牛之介 「今のはお前たちに油断がないか見極めるために、偽りに申したのだ。 いや悪かった。今後はもう二度と。このようにお前たちを試すような真似はしない。」 と皆の前で誓った。するとこの時、足軽の中に一人老人あったのだが、これが進み出て 「はっはっは。ワシも牛之介殿の謀り事だと思っておったが、それでも油断しちゃいかんとほれ、 このように鉄砲の火縄に火まで付けましたよ。他の者はそこまではしなかったようですがね!」 と高笑い。嫌味な爺さんである。 戦争が始まる。牛之介の部隊も城の近くまで攻め寄せた。 と、この時この方面に籠る城方に、元藤堂家家臣、能勢九郎右衛門という者がいた。 能勢は牛之介の知り合いであり、彼が近くにいることを知ると牛之介、なんと仕寄(攻手の境界)の 外まで出て 「能勢ー!能勢九郎右衛門はそっちに居るかー!?」 と城方の人間に尋ねて回った。これには藤堂家の同僚たちも流石に 「牛之介はなんと馬鹿な事をしているのだ」と、戻ってきた牛之介を叱りつけ批判したが、この時 先の老足軽だけは 「いやいや牛之介殿、あなたは少しも問題のあることはしちゃいませんよ。 だいたいあなたくらい若い時には、あのくらい伊達なことをされるのが良いのです。」 と言ったという。 爺さんいい奴である。 そんな、平佐牛之介と老足軽のお話。
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- で、戦国最強の忍者集団はどこなんだ?
66 : 忍法帖【Lv=8,xxxP】 [sage]:2011/04/11(月) 00:59:54.24 ID:EIL712g9 - テスト
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- 【治部】石田三成総合スレ 8【佐吉】
201 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 01:35:58.91 ID:EIL712g9 - 三成はもっと傲岸不遜で、浅井三姉妹だろうがそんな女子供は氷のような態度で
秀吉からの命令を押し付ける人間であるべきだ。
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- 2011年大河「江〜姫たちの戦国〜」2
576 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 10:32:20.85 ID:EIL712g9 - 桜柄模様の駕籠には気が遠くなった
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- 戦国時代のトリビア
455 :人間七七四年[]:2011/04/11(月) 21:14:47.11 ID:EIL712g9 - >>454
それは息子ではなく孫だ。滝川一積な。しかも改易を受けたのは 大坂の陣から17年もたった寛永9年(1632)な。 真田云々の単純な話じゃない。
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- 戦国ちょっといい話25
879 :人間七七四年[sage]:2011/04/11(月) 22:41:35.23 ID:EIL712g9 - >>876
> 家臣達は知らなかった。その家系図、家康が前関白近衛前久に頼んで、「銀三百貫、駿馬一匹/毎年」の約束で手に入れた、という事を… それは徳川の系図云々ではなく三河守叙任のため。 あと家康は徳川姓改正以前から源氏を名乗っているが、永祿9年(1566)の「徳川」への改姓の後は 『藤原氏』を名乗ってる。(藤原家康) これは家康が望んでいた三河守就任が、朝廷側の「得川氏」の三河守就任の先例が無いと 言う事で頓挫しかけ、そこで近衛前久が「藤原姓徳川氏」なら先例があることを見つけ出し、 藤原氏として叙任させたため。 しかし家康は、そもそも「元信」から松平清康にあやかって「元康」に改名するなど 祖父清康を非常に尊敬しており、清康から始まった源姓松平宗家、というものにも 拘りがあったらしく、天正14年(1586)ごろには源姓に『戻して』いる。
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