- 戦国ちょっといい話25
464 :人間七七四年[sage]:2011/03/22(火) 10:17:07.96 ID:FVw2YyFe - 江戸初期における代表的文化人、石川丈山は元々、徳川家康に近侍として仕える武士であった。
だが大阪夏の陣で一番乗りの功を上げるも、軍規で禁止された先陣争いをしたため謹慎処分となり、 その為武士を辞めた、という、文武に優れた人物であった。 さて、そんな石川丈山が後年、家康の謀臣として知られた本多正信について語ったことがある。 それに曰く 「本多正信という人は大御所様(家康)が何か仰せになったとき、自分の考えと違う場合は その場で居眠りしていて何も発現されなかった。 またその仰せが良いと思った場合には、それを大変に褒め上げた。 私は長く大御所様の近くで仕えていたが、世の中で考えられているのと違い、 大御所様と正信殿が何か事を謀っていると見えたことは、わずかに2度しか無かった。 それも世の人が事を謀る姿とは全く違う、大変珍しいものであった。 1度目は大御所様が正信殿の座されている前を通った折、ふと足を止められ 正信殿に3,4言、密かにつぶやかれた。これを聞くと正信殿は大いに褒められ 『良く候!良く候!』と繰り返し申し上げておられた。 もう1度は大阪冬の陣の講和が成った直後のことである。 大御所様は京に入られ、ある家臣に『お前は大阪に行き、将軍(秀忠)に、家康はこれこれの日に 駿河に帰ろうと思っている、と申し伝えよ。』と仰られ、ふと正信殿の方を見られると 例のごとく居眠りしておられ、これについて何も言われない。 大御所様は大声で『やあ佐渡守!!』と仰られると、本多殿目を開き、だが物を言わず 右手を上げ、指を折って物を数える仕草をしてから 『大殿よ大殿よ!数年前に伏見の御館にて正信が申せしことをば忘れ給うな!』 と言われた。これに大御所様はしばらく御思案する様子であったが、先に将軍家への 使者を命じた者に『今日のところは使いを参らせない事にする』と仰り、そして座を立ち内に 入られた。 今の人は本多正信といえば、大御所様に対し古を引き今の状況を明らかにし、道理と正義を 分析し微細なところまで献策した、などと言われるのだが、そういうのは全て後世の、 弁を好む者たちの虚言である。」 家康に近侍した武士の見た、本多正信像である。
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- 【疑問】スレ立てるまでもない質問 7【戦国時代】
154 :人間七七四年[sage]:2011/03/22(火) 15:01:56.30 ID:FVw2YyFe - >>152
ないない。三好長慶の時代にはすでに大銃撃戦が繰り広げられておる。
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- 【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ15【東軍】
800 :人間七七四年[sage]:2011/03/22(火) 15:03:57.71 ID:FVw2YyFe - 秀頼人質にすればそれこそ天下の大逆賊として殺戮大会だ。
それまで毛利に付いてた連中もみんな離脱するわ。
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