- 【徳川家総合】 徳川家康 公スレ その12
498 :人間七七四年[]:2011/03/17(木) 10:29:07.05 ID:jxRsDMl7 - 信康粛清は家康と酒井忠次共同の謀略です。
忠次と信康は周知の犬猿の仲。 なのにライバルの石川数正は信康と昵懇の間柄。 信康が徳川の次期当主となれば数正は一層取り立てられ、 一方忠次は確実に追い落とされ失脚する。 忠次は保身上、どうしても信康を始末せねばならなかった。 家康の命綱は信長との同盟。 なのに家中に嫌信長の築山殿と今川の血を引く信康がいる。 家康も信長に不信の目を向けられないための用心として、この母子をどうしても始末しておく必要があった。 信康と妻五徳の不仲も動機の一つ。 信長との同盟上、夫婦仲はもはや政治問題で、 五徳を離縁して織田家に送り返せば、信長との同盟関係に齟齬が出かねない。 加えて家康と信康の年齢差。 三十八歳の家康にとって二十一歳の信康は自分の地位を脅かす危険なライバルになりかねない。 信康は築山殿の影響を深く受けて育ち、実母の唆されてクーデターでも起こされては、家康の面目丸つぶれ。 家康が酒井忠次を安土への使者にしたのも確信犯。 反信康の忠次を信長に対面させれば、何を喋るか容易に察しがつく。 信長から詰問された信康築山母子の武田内通を、忠次が知っているのに家康が知らないなんて有り得ない。 それに忠次が知っていたのに、そのまま放置していたというのも有り得ない。 同年、後に二代将軍となる秀忠が既に生まれており、 信康を始末しても徳川の後継には後顧の憂いがなかったのも一因。 つまり家康と忠次の利害は完全に一致しており、 両者の謀略によって二人は消されたわけで、それを正当化したいが為、信長の威光を利用しただけ。 この事件は、後年信長死後の謀略や秀吉死後の悪行専横の一端を覗かせる一駒。 家康の本性は偽善の皮を被った卑劣漢。
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