- 【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】
315 :人間七七四年[]:2011/02/18(金) 09:15:56 ID:M78Qj6Hy - 千姫との婚姻とは・・・・家康、豊臣家滅亡への遠謀
1.大阪城内外の情報収集(豊臣恩顧の大名への牽制) 2.流言流布による情報操作(城内士気の低下、徳川家臣団の虚栄宣伝) 3.朝廷と親戚関係の阻止(秀頼が朝廷側から嫁を貰い、太閤になる事を阻止) 4.秀吉の遺言であると嘘をついて政略結婚さす(淀の方の親戚なので反対はしない) 史実では秀吉は朝廷と親戚に成るため、秀頼が元服後は朝廷の子女との結婚を計画 もし豊臣と朝廷が結び付くと家康には天下を取れない。 関白は将軍より官位が上なので大坂の陣もなく家臣として徳川家は大名の地位
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320 :人間七七四年[]:2011/02/18(金) 12:36:52 ID:M78Qj6Hy - 大坂方浪人衆の中には、関ヶ原以降没落した諸大名の子息、家臣だけでなく
報奨金目当ての百姓、野武士、山賊の輩も入城した。 諸大名が大坂城を目指して行軍してくる山中に伏兵として置き、隊列が細くなる 峠や狭路で武器や食料を運ぶ荷車隊を襲撃。 左右に伏兵させた少人数の選抜された腕の良い鉄砲隊は、全面戦争を避け本陣のみ襲撃&退却 上手くいけば敵の大名を撃ち取ることも可能。 また襲撃の用心ため、行軍のスピードが落ち時間がかかる。 大坂の平野に大軍を集結させる足並みが乱れる。 このような戦法が浪人衆の言う出撃論だと思われる。
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323 :人間七七四年[]:2011/02/18(金) 15:06:09 ID:M78Qj6Hy - >>319
且元は家康に任命されて秀頼の御世話役になった賊臣 賤ヶ岳の七本槍の一人と言われるが、他の者は10万石以上の大名になったが 太閤存命中から3千石の小大名。人を見る目が人並み以上の秀吉からみても 小者に映ったのであろう。 慶長見聞書によると「且元、去年までは秀頼の家老として無二の忠臣を 装うが、君臣不快となると言えども多年のなじみを忘れ、家康公に秀頼殿の 隠れ場所を申し上げしこと侍にあらずと人々申しける」 自害した秀頼の場所を教えたり、その子、国松の潜伏先を教えた功績により 家康から大坂の地に4万石の大名に加増されたが、大坂落城の1ヶ月後に突然死。 死因は、病死とも精神を狂わせて自殺あるいは徳川の毒殺とも言われるが不明
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324 :人間七七四年[]:2011/02/18(金) 15:18:27 ID:M78Qj6Hy - >>321
一番外に惣構えがあるけど外堀と惣構えの間になんかあるよね? 「大名屋敷、武家屋敷、町屋などの屋敷」 これは空掘り? 「真田丸のあった南惣構掘は空堀、東と西の惣構は水掘」 二の丸、西の丸、三の丸ってのはどの部分になるの? 「上記の略図の真ん中、後藤基次の文字のあたりが三の丸、 大坂城の大の字あたりが二の丸」
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326 :人間七七四年[]:2011/02/18(金) 15:55:24 ID:M78Qj6Hy - >>325
黄緑色の枠のようなものが三の丸の空堀を表しているが 略図なので正確な位置ではない。 秀吉の晩年から死後の慶長三年から第四期工事にて二の丸外側の町屋を移転させた うえで三の丸を築造、惣構とともに難攻不落の威容を整えた。 大坂冬の陣では攻め寄せる徳川20万の軍勢を惣構の中に一歩も入れなかった。 城作りの名手である秀吉の縄張りである。
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