- ■戦国初期を彩る名将たち■
113 :人間七七四年[sage]:2011/02/18(金) 02:56:56 ID:AZivvAOO - >>112
それは永正の錯乱以降だな
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863 :人間七七四年[sage]:2011/02/18(金) 15:44:18 ID:AZivvAOO - >>862
これだな。こっちが伝・九鬼で http://koubai.auctions.yahoo.co.jp/auction/auction?pid=mie_shima_city&oid=1295416287868163&aid=i11256175 こっちが伝・豊臣由縁ね http://koubai.auctions.yahoo.co.jp/auction/auction?pid=mie_shima_city&oid=1295416287868163&aid=i11256182 九鬼の方はデザイン的にも江戸期の作りっぽいな。兜も源平風を意識して明らかに実戦用じゃない。 豊臣由縁の方は実戦甲冑の感じが確かにする。桐紋が確かなら、多分小田原陣以降の戦の 褒美か何かとして、豊臣系の誰かから下賜されたものだろうな。
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865 :人間七七四年[sage]:2011/02/18(金) 23:46:52 ID:AZivvAOO - 天正十七年(1589)、肥後の国人天草、志木氏らによる小西行長への反乱の時のこと。
加藤清正は小西に援軍を出し、あたご山という場所に陣した敵軍を攻める。 この時清正軍の先手、南部無右衛門、山岡道阿弥、鵤(いかるが)平次らはあたご山のすぐ側に 備を立てた。これに清正の本陣より使いが来る。その内容は 『その様に山に近い場所に備を立てては、敵が山から落とし掛かってきた場合突き崩されてしまう。 山から離れた場所に備を立て直せ』 というものであった。しかしこの使いに対応した南部無右衛門は 「私が先手に居る以上、そのような心配ご無用でござる!」 と傲然と顔を上げて言い放った。 さて、敵は清正が心配したとおり、山から駆け下り、 これまた清正が心配したとおり、清正軍の先手を圧倒。 先手の備は一支えもできず本陣へ崩れかかり、清正自身が敵の将木山弾正と 槍を合わせるほどの乱戦となった。 さてこの合戦の後、清正は南部無右衛門を呼びつけ怒鳴りつけた 「先手が崩れたのは、お前が誤った判断をしたためだ!!」 ところが無右衛門、これにうなだれるどころかさらに傲然とした表情でこう言い放った 「先手は崩れてはおりませんでした!私は備を立て直そうとして一旦下がらせただけなのです。 ところが山岡道阿弥が何もせず逃げたため、散々に崩れたのです。 叱るのなら山岡を重ねて叱りつけるべきです!」 清正これを聞いて 「その言い方、気に入った!(そのやうに申さるるこそよけれ)」 と、無右衛門の言い訳に納得してしまったそうである。 加藤清正、南部無右衛門の言い分を認める、と言うお話 (武功雑記)
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