- 【徳川家総合】 徳川家康 公スレ その十一
685 :人間七七四年[sage]:2011/02/04(金) 16:28:03 ID:q6qrcmUo - 秀吉は只者じゃなかったさ
ぺーぺーの下っ端からのし上がっただけのことはある その秀吉自身の急速な地位向上に伴って”チーム秀吉”の規模も拡大したわけだ 元々が武士としての伝統を持った家柄の出自ではなかったために、秀吉には譜代の家来に相当する部下がいなかった チーム秀吉の最初期には信長の意向により浅野(秀吉正妻の身内)や蜂須賀(秀吉が好きで志願したのだろう)、 堀尾や山内(信長が潰した織田宗家の遺臣の縁者)といった即戦力が付けられた あと実弟秀長も優秀な人材だった チームが大きくなり、彼らが部隊長を指揮するような地位に就く頃には、 秀吉自身の意向で武将デビューさせた連中が続々と登場してくる 秀吉正妻の遠縁とも言われ、彼女に育てられた福島や加藤(だから忠孝は高台院に向く。淀に従う謂れが無い)、 秀吉自身が見出して取り立てた大谷や石田 彼らのように、秀吉の意向がなければ武将デビューすらなかったかもしれない連中を「豊臣恩顧の武将」と言い、 譜代家臣が存在しないチーム秀吉において、浅野ら古株寄子とともに重要な地位を占めた 「豊臣恩顧の武将」とは、秀吉の政権においてどの人物が秀吉とどう関係した出自を持つか、分類の上で使われた用語 用語として定義が成立しているのに、恣意的に拡大解釈して誰も彼も豊臣恩顧などと言い出すは頓珍漢のやることに過ぎない
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