- 【直家】備前宇喜多氏を語るスレ 2【秀家】
94 :人間七七四年[sage]:2011/02/02(水) 00:38:55 ID:tKaF4vUN - >>92
宇喜多は秀家の時に領内把握しようとして相当もめてる。それが宇喜多騒動の原因になった。 後に森忠政が美作入ったときに国人一揆が起こっているところからも、宇喜多の支配が 相当ゆるいものだったことを伺わせる。
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- 【疑問】スレ立てるまでもない質問 7【戦国時代】
6 :人間七七四年[sage]:2011/02/02(水) 01:04:59 ID:tKaF4vUN - 学問的には明応の政変(1494)から信長の足利義昭追放(1573)まで
広義でとると応仁の乱(1467)から大阪夏の陣(1615)まで 統一という概念でとると小田原の陣(1590)まで 近世に対する中世末という意味でとると関ヶ原(1600)まで 国内内戦の終結、という意味で島原の乱(1638)まで取る見方もある。
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- 戦国ちょっと悪い話24
609 :人間七七四年[sage]:2011/02/02(水) 12:25:01 ID:tKaF4vUN - 加藤清正霊異シリーズ
肥後熊本には加藤清正の廟や像があり、領主細川家はこれを崇拝し、 供僧などを置いて供膳香華を絶やさなかった。 さてある時のこと、一人の供僧が清正像の前に膳を据え、さて亭坊へと戻ろうとしたところ、 清正の像を守る覆いに、ネズミが開けたと思われる穴が見えた。この時供僧 「しかし清正という人は無双の剛勇で異国にまで名が轟いた人だ。ネズミもそんな人に 害をなすことはあるまい」 と下山した。 それから暫くして、膳を取りしまうため再び山に上がる。と、なにやら赤いものが見える。 …それは なんと膳の上に、大きなネズミが五寸釘で、ごっすんと貫かれていたのだ! これに供僧は気を失うほど驚き、這々の体で下山した。そしいてこれを聞いた他の僧たちが登り その場所を清め膳を下げたのだという。 清正公、不届きなネズミに五寸釘、と言うお話。
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- 【直家】備前宇喜多氏を語るスレ 2【秀家】
100 :人間七七四年[sage]:2011/02/02(水) 17:57:09 ID:tKaF4vUN - >>97
徳川は関東移封前の(そして太閤検地以前の)天正17年(1589)に「五ヶ国惣検地」という 大規模検地を独自でやっている。北条もそうだが徳川も、君主支配権の確立という意味で 多の大名に先駆けて自力で近世の扉をあけていた。 >>99 宇喜多は本当に資料がない。どんな統治だったかまるで解からん。
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