- 【徳川家総合】 徳川家康 公スレ その十一
557 :人間七七四年[sage]:2011/01/28(金) 15:08:01 ID:RNyDKP+p - 言いだしっぺの爺だす。
554さんが言われる推測と言うのは普通にみなさまが知ってる 事実関係だけで十分に解釈できるものなのでおおまかな 出来事しかあげてません。 ただそれで同じ解釈ならいいわけで違うから根拠をお聞き することになるわけですね。 最初から秀吉ー家康は対等ではない 殺し合いもしているー部分的戦闘では家康が勝ちまたは有利。 秀吉作戦変更で秀吉が圧倒的権力を得るー家康臣従。 ここでですよね。 関白であり格も武力も圧倒的ならうやっつけてしまえばいい。 それが母親の命と言うリスクを犯したのは秀吉にも それ相応の事情があった。 これを秀吉から見て家康を強力なライバルで危険視していたと 判断するわけです。 同じように家康もまたその時点でそれを理解 その後関東移転を受け入れる。 その背景には両者の微妙な力関係そして それ以前からの複雑な関係があっただろう、と。 秀吉が100万石与えた細かな指導をしたとこのあたりは 秀吉絶頂期でそれなりに余裕があったでしょう。 家康もまた関東開拓で忙しく両者の思惑が一致。 ここで忠臣な家康という状況が出来上がります。 このあたりは史実通りで解釈も同じでしょう。 ただその過程を見た場合に秀吉は家康が遠くで 大人しくしてくれることを最大限に望みそのように対応。 家康もまたお家と一族が大事と双方の利害が一致したにすぎません。 このあたりを前に少し書いたら利害なんて関係ないよ とか言われたのでこれも驚きですがもちろん両者は 利害損得を最大限に考えたのは当然で具体的にそれは お家一族の安定なわけです。 ちなみに関東開拓中に重要なことは秀忠がまだ幼少で 家康も秀吉同様跡取りを作るのが最大の目的でもあるでしょう。 このあたりで戦っても両者跡取りがいない状態それこそ何のために 戦うかも不明なぐらい。 そういったのも関東移転受け入れ遠方で一族繁栄の足がかりを固める という根になってたとは思うわけですね。 事実の確認で長くて恐縮だけど関東移転承諾ー忠臣としての行動 の背景には両者の利害損得の一致が中心であり それを本心から両者は信頼しあってたのように判断するのは また別の問題。 心境推測を妄想で意味のないこととする手法だとここで おしまいなのですが人間学として考えた場合両者の思惑を 推測するのは十分に意味のあるものだと思います。
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