- 【朝鮮出兵】日本人は朝鮮人に未来永久謝罪すべき
641 :人間七七四年[sage]:2011/01/13(木) 04:20:19 ID:q+eOhDkP - 女真族の城の役での日本軍はすごいなw
日本軍の総兵力は、文禄の役の際に動員されたのは、9軍団に分かれた総勢158,000人 慶長の役では141,500人。 1592年4月12日に釜山に上陸。 それからわずか一か月足らずで、漢城(ソウル)を占領している。 加藤清正と小西行長が漢城(ソウル)まで競争し、小西行長が5月10日に到着。 加藤清正も翌日に到着している。 それから約二ヶ月後の7月24日には、平壌も占領している。 加藤清正にいたっては、会寧で二人の皇子を捕虜にした後、 豆満江を渡って満州にも進行してる。 この時、加藤清正に帰順した朝鮮人兵士3000人も、これに加わってる。 文禄の役では、日本軍は、朝鮮半島のほとんどを占領している。 あと、文禄・慶長の両役を通して、明は朝鮮に援軍を送ってるけど、 日本軍はことごとくこれを打ち破ってる。 結局日本軍が撤退したのは、和平担当者が明が降伏したと、 ウソの報告をして、 秀吉は明が降伏するものと思って、兵を撤退させた。 慶長の役では、明の使者の来訪によってその嘘がバレ、 それに怒った秀吉が再度朝鮮に兵を派遣した。 そのとき明は援軍を送ったが、日本軍はこれをことごとく撃退している。 秀吉は大軍を新たに派遣しようと計画していたが、1599年の8月18日に死去。 これによって五大老は朝鮮の日本軍に帰国命令を出す。 結局、もし秀吉が生きていて、日本軍の増派が行われていたら、 まちがいなく朝鮮半島は日本のものになっていただろうね。
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