- 戦国時代における騎馬武者の実像とは
323 :人間七七四年[sage]:2011/01/10(月) 17:04:14 ID:mzPAtF8z - よーし噛み合ってないな。勝手にまとめてやろう
備というのは数百人規模の大隊で戦国時代の基本戦闘単位。備が複数あれば一手。 大身家臣である寄り親を中心として、小身家臣の寄子つけられて編成するのが一般的。 (ちなみに江戸時代に1万石以上から大名と呼ばれ一定の自治を認められていたのは、 1万という切が良いという面もあるが、300人ほどの最小規模の備を単独で組め、 その家だけで行動できたから。) 備は大きく分けて、鑓足軽隊、鉄砲隊、弓隊、騎馬隊、大将司令部、で編成されていて 各隊は頭格の一、二名武士が統率。、 各隊はさらに幾つかの組みに分けられそれぞれは組頭・足軽頭が統率。 戦国の備での騎馬隊とは文字のままのイメージとは違い騎馬のみ編成されているわけではなく 馬上や馬乗りと呼ばれる騎馬武者と、徒歩武者、甲者、持鑓、歩者、等と呼ばれる徒歩武者が だいたい1対1の割合で含まれる混成部隊で後期には鉄砲も装備。それと各侍には従者も付いてくる。 (中間小物らの従者は基本的には非戦闘員で軍役にも規定されないのでここでは数に入れず) わかりやすく言うと騎馬隊=侍部隊=精鋭攻撃部隊。 役割は備同士がやり合ってる中、備から分離して突撃、切り込み、敵騎馬隊の迎撃を行う攻性の兵科ですね。 備から離れたところで戦っている、騎兵の割合が多い混成の部隊が、よく屏風絵などに画かれていますが それが戦国時代の騎馬隊の実態で言えるでしょう。
|
- 【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ3【道雪】
982 :人間七七四年[sage]:2011/01/10(月) 17:18:57 ID:mzPAtF8z - ググればいいと思うよ
|
- 日本の戦国時代 合戦の虚像と真実
920 :人間七七四年[sage]:2011/01/10(月) 17:23:09 ID:mzPAtF8z - 信長公記だと柴田隊が損害を受け柴田も負傷したため
氏家隊がかわって受け持って氏家も戦死とか入れ替わりの記述はそれなりにある
|
- 戦国時代における騎馬武者の実像とは
326 :人間七七四年[sage]:2011/01/10(月) 18:02:24 ID:mzPAtF8z - >>325
馬上と歩者の割合は武田上杉北条の現存する軍役帳から割り出すと 1対9ですね 上で貴方は北条氏の一部の軍役帳から推定しているようですが 武田、上杉、明智、北条の大部分、の軍役帳では同等の割合で各兵科を召集していますが 注意しなければいけないのは北条氏は一部の家臣には変則的な割合で軍役を課しています たとえば、小曾戸丹後守200貫 馬上5 鉄砲20 旗2 彼を基準にしたら北条家は歪な鉄砲軍団になってしまいます。 一部だけ抜き出してそれを無批判に全体に当てはめるのは如何かなものかと あと別人ですよ
|
- 戦国時代における騎馬武者の実像とは
330 :人間七七四年[sage]:2011/01/10(月) 20:01:24 ID:mzPAtF8z - >>328
ああ、失礼しました。>>326の歩者は騎乗以外の鑓弓鉄砲足軽も含めた割合です >>325の東国だと1対5前後、という割合から総軍役の中での割合かと判断してしまいました。 >>323 での1対1というのは騎馬隊の中での馬に乗る武士と徒歩の武士の割合です。
|
- 戦国時代における騎馬武者の実像とは
336 :人間七七四年[sage]:2011/01/10(月) 21:21:18 ID:mzPAtF8z - >>331
備の中に含まれる鑓足軽隊、鉄砲隊、弓隊、騎馬隊、大将司令部、の中の騎馬隊の話です。 >>334 残念ながら全員が騎馬という備え編成は武田にはありません。 もちろん小幡の部下にも鑓や弓などの騎馬以外の軍役がかけられているので明らかです。
|
- 戦国時代における騎馬武者の実像とは
340 :人間七七四年[sage]:2011/01/10(月) 22:45:49 ID:mzPAtF8z - >>337
武田信玄軍役定書 一、乗馬三騎、付、甲手益、咽輪、宮具足、脛楯、指物持槍可為,如法 一、鉄砲五挺 一、持槍長刀共ニ、五本 一、長柄拾本 一、弓弐張 一、持小旗三本、此内一本者積之外也、右具在前、 龍朱印 元亀二辛、未、三月拾三日、跡部美作守奉之、兵庫助殿
|
- 戦国時代における騎馬武者の実像とは
343 :人間七七四年[sage]:2011/01/10(月) 23:18:49 ID:mzPAtF8z - >>342
ああごめん小幡のね。それはちょっと手元に無いから後で ついでにそれは跡部は朱印奏者として名前が載を載せてるだけで 跡部の軍役じゃないから
|