トップページ > 戦国時代 > 2011年01月03日 > YjbfaFUK

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人間七七四年
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戦国ちょっと悪い話24

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戦国ちょっといい話24
97 :人間七七四年[sage]:2011/01/03(月) 16:23:35 ID:YjbfaFUK
前田利家は新たに近習として出仕した者に対しては必ず、このようなことを話したそうだ

「わしが信長公にご奉公に出たのは14の時だった。この時初めて50貫を頂いた。
それからご加増していただいて150貫となった。
森部合戦の後更にご加増していただき、また兄である蔵人殿の跡目を継ぐこととなり、
合計で1450貫となった。

その後越前府中3万3千3百石を下され、能登一国を下され、
さらにその後秀吉公から加賀の石川郡、河北郡を下され、さらに越中も我らが手により
切り取りにした。

このようにわしは若い頃から色々と骨を折り、主君から引き上げていただき、今かように大きくなった。
其方も希望を富士の山ほどに大きく持って、奉公するのだぞ。」

前田利家流新入社員への心得(?)というような逸話である。
戦国史の研究者を語る
226 :人間七七四年[sage]:2011/01/03(月) 17:41:37 ID:YjbfaFUK
>>223
タイトルだけで読む気が失せるな
戦国ちょっと悪い話24
260 :人間七七四年[sage]:2011/01/03(月) 23:37:36 ID:YjbfaFUK
『名将の子供には、必ず不運な者が生まれるものだと世間では申しています。
その言葉の意味、私にはよくわかります。』

(名将の子ニハ、必ず不運の者が生まれ候と申し候事、存知あたり候。)

これは毛利隆元が、彼が帰依する国清寺惠心に送った書状の一節である。
隆元の苦しみが垣間見られる、印象的な言葉であろう。


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