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人間七七四年
戦国時代の源氏の嫡流ってどこ?

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戦国時代の源氏の嫡流ってどこ?
615 :人間七七四年[]:2011/01/01(土) 02:46:43 ID:7I2E3x0N
日本の歴史(中世〜近世)


◆鎌倉幕府◆
【勝者】源頼朝:清和源氏為義流、藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡矢作)

・藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝


◆室町幕府◆
【勝者】足利尊氏:清和源氏足利流、三河守護

・藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼→足利義氏→のちに足利尊氏

・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(清和源氏足利流、三河国幡豆郡吉良)、今川氏(清和源氏足利流、三河国幡豆郡今川)、石橋氏(清和源氏足利流、三河国碧海郡)が将軍継承権を有した

・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数

・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数


◆応仁の乱◆
【勝者】細川政元:清和源氏足利流、細川吉兆家/本貫地:三河国額田郡細川)

・藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義清→足利義実→細川義李(初代細川氏)

・”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている


◆関ヶ原の戦い◆
【勝者】徳川家康:清和源氏新田流、本貫地:三河国加茂郡松平


◆江戸幕府◆
【勝者】徳川家康:清和源氏新田流、本貫地:三河国加茂郡松平

・大名の5割が三河国出身

・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(三河国幡豆郡吉良)

・附家老の8割が三河国出身


◆大坂の役◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:清和源氏新田流、本貫地:三河国加茂郡松平




戦国時代の源氏の嫡流ってどこ?
616 :人間七七四年[]:2011/01/01(土) 02:47:46 ID:7I2E3x0N
室町幕府 三河国の奉公衆
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国は全国で最大人数



【熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)

【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田

【足利一族被官】
饗庭、朝倉、飯尾、伊勢、大草、高、久下、小嶋、二宮、彦部

【三河源氏】
足助、水野

【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永

【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)

【桓武平氏】
神谷、山下

【その他】
岩堀、宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、中条、堤、長、西部、本郷、松平、三浦、丸山、大和

戦国時代の源氏の嫡流ってどこ?
617 :人間七七四年[]:2011/01/01(土) 02:50:08 ID:7I2E3x0N
室町幕府樹立後(初期)の西三河人の日本支配構造


【東海道】
・伊賀国守護:仁木義直、細川清氏、仁木義長
・伊勢国守護:仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・志摩国守護:仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・尾張国守護:中条秀長
・三河国守護:仁木頼章
・伊豆国守護:石堂義房
・遠江国守護:今川範国、仁木義長、今川範氏
・駿河国守護:石堂義房、今川範国、今川範氏
・武蔵国守護:仁木頼章
・安房国守護:斯波家長

【畿内】
・摂津国守護:仁木頼有、細川繁氏
・和泉国守護:細川顕氏
・河内国守護:細川顕氏

【北陸道】
・若狭国守護:斯波(大崎)家兼、斯波高経、斯波氏頼、細川清氏、石橋和義
・越前国守護:斯波高経、細川頼春、斯波氏経
・能登国守護:吉見頼顕、吉見頼隆         ← 吉見氏は源三河守範頼を祖とする三河ゆかりの氏族
・越中国守護:吉見頼隆、細川頼和、斯波高経

戦国時代の源氏の嫡流ってどこ?
618 :人間七七四年[]:2011/01/01(土) 02:50:51 ID:7I2E3x0N
【東山道】
・奥州探題:斯波(大崎)家兼
・羽州探題:斯波(最上)兼頼
・下野国守護:斯波頼兼

【山陰道】
・丹波国守護:仁木頼章、仁木頼夏
・丹後国守護:今川頼貞、荒川詮頼、上野頼兼、仁木頼章
・但馬国守護:今川頼貞、吉良貞家、仁木頼勝
・伯耆国守護:石橋義和
・石見国守護:上野頼遠、上野頼兼、荒川詮頼
・因幡国守護:吉良貞家、今川頼貞
・伯耆国守護:石橋和義

【山陽道】
・備中国守護:細川頼之
・備後国守護:仁木義長、石橋和義、細川頼春
・安芸国守護:細川頼之

【南海道】
・紀伊国守護:細川氏春、
・淡路国守護:細川師氏、細川師春
・阿波国守護:細川和氏、細川頼春、細川頼之、細川頼有
・讃岐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之
・伊予国守護:細川頼春、細川頼之
・土佐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之

【西海道】
・九州探題:一色範氏、一色直氏、細川繁氏、斯波氏経
・筑後国守護:一色直氏
・肥前国守護:一色直氏、一色範光
・肥後国守護:一色直氏
・日向国守護:細川頼春、一色直氏、一色範親
戦国時代の源氏の嫡流ってどこ?
620 :人間七七四年[]:2011/01/01(土) 10:48:11 ID:7I2E3x0N
>>606

伊勢氏

新編岡崎市史20(総集編) 足利家の根本被官で室町幕府政所執事などを務めた武士。ふつう桓武平氏で平季衡の子孫とする。
『滝山寺縁起』にみえる足利家被官の藤原俊経(肥前前司)・藤原俊継(伊勢前司)は「伊勢系図」にのる同名の人物と官途が一致するので伊勢氏の先祖にあたるとみられる。
とすると桓武平氏というのも必ずしも信をおけないことになるが、もとは藤原姓であったのを事情あって後に平氏に変えたのかも知れない。
『縁起』に登場する伊勢氏は、俊経・俊継父子のほかに、俊経の兄弟に滝山寺僧円辰、その子に同じく増恵がおり、鎌倉中期の滝山寺の隆盛に尽くしたひとが多く出た。
鎌倉時代の伊勢氏について知りうることは少なく、上総で足利貞氏の守護代を務めた伊勢九郎宗継がいるが系図にはあらわれない。
康暦元年(1379)に尊氏の近習であった貞継(俊継の孫)が政所執事に任じられ、以後伊勢氏がこの職を世襲した。ほかに将軍右筆や御番衆になった一族もいる。
明徳2年(1391)伊勢貞行が御料所額田郡山中郷の代官に任じられ、以後山中郷は伊勢氏の所領となった。寛正6年(1465)当時、山中郷代官は伊勢氏被官の蜷川親賢であった。


伊勢俊経

新編岡崎市史20(総集編) 鎌倉前期の武士、足利氏被官。『滝山寺縁起』に肥前々司藤原俊経(法名願仏)と見える人で、足利氏被官伊勢氏の先祖とみられる。
弟相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は滝山寺僧侶であった。滝山寺に持仏堂を建て、古市場御油畠などを寄進した

伊勢俊継(初代伊勢氏)

新編岡崎市史20(総集編) 鎌倉中期の武士で足利氏被官。『滝山寺縁起』に伊勢前司藤原俊継とある人で、肥前前司俊経の子。
滝山寺に足利義氏追善のため檀那として法華堂を造営し、田畠3町8段をこの堂に寄進した。
また碧海荘青野・宇祢部の料田畠も足利(斯波)家氏に働きかけて寄進させた。そのほか滝山寺の諸造営にかかわって財政的な援助を惜しまなかったのは、
叔父の円辰や従兄弟の増恵が滝山寺僧侶であったからであろう。
戦国時代の源氏の嫡流ってどこ?
621 :人間七七四年[]:2011/01/01(土) 10:55:01 ID:7I2E3x0N
参考

同地域で藤原氏が伊勢氏を名乗った事例


藤原惟康(伊勢惟康もしくは高橋惟康)

■藤原道隆→伊周→忠頼→惟康(伊勢惟康)
http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/fujiwara/fujiwara_hoku/fujiwara_hoku12.html

■藤原実範(三河守)→女子(兄は藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住))→伊勢惟康

大森葛山の祖・維康(惟康)について、「伊勢新二郎大夫、成高橋殿、三河国高橋庄領主故号、母実範三位女、外戚伯父伊勢権守令養育之」と「姉小路系図」に註記される
高橋庄は高橋郷(現豊田市高橋辺り)を中心に豊田市域の北部中央、矢作川中流を挟む一帯から尾張国境に及ぶ庄域をもった大荘園であり、十一世紀頃の開発とされる。
安元二年(1176)二月日の八条院領目録に庁分御荘として参河国高橋・参河国高橋新庄があげられる。


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