- 上野クリニックってどうなのよ
12 :名無しさん@Before→After[sage]:2013/04/04(木) 14:45:31.29 ID:ll2p2wiG - 他の性感染症に感染しているとエイズにも感染し易いといっても、
その他の性感染症群も歓楽街を中心に拡がる特殊な感染症であり、 歓楽街とは関係ない生活をしている自分はそのような“不潔な感染症”には 全く無縁であると信じている人が極めて多い。 しかし、現在大流行している性器クラミジア感染症は、 一般の性生活を持つ人々の中に、ひそかに、驚くほど大きく広がっているのである。 最近は、従来の性感染症群全体が、症候が軽くなりつつあり、 無症候感染も少なくない。ことに女子例でその傾向が強く、 クラミジアやヘルペス、さらにかつては症候が強いとされていた淋菌さえも 8割は無症候感染とされている。また梅毒も今や同傾向にある。 その上、若い人々の性の自由化傾向が急速に一般化しつつあるため、 そのように無症候化した感染症に、知らぬ間に感染してしまっている。 そしてその感染を日常の性生活の中でうつし、うつされつつあるのが現状と言える。 しかも、若い10〜20歳台の子宮頸部は、感染し易い円柱上皮が大きく腟内に露出している。 30歳台で内部に引っ込むまでは、若い女性の子宮頸部は性感染症病原微生物を 非常に受け取り易い解剖学的条件を持っている。 そのため若い女性群が上記の如き無症候の性感染症にかかり易く、 彼女たちの中に大流行する素地が出来ている。
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13 :名無しさん@Before→After[sage]:2013/04/04(木) 20:59:26.22 ID:ll2p2wiG - “エイズは恐いが、現実には少ないし、さして心配いらないのでは”
という安易なエイズ認識が、若者を始め一般市民にしっかりと定着しているためと言ってよい。 しかも最近は人権問題としてのエイズ論議が迫力がなくなり、 関心度が低くなって来たため、ジャーナリズムもエイズ問題を あまり積極的に取り上げなくなっている。 その結果、学校でもエイズを話題にしなくなっている。 そのため最近はエイズは少なくなりつつあるかの如き錯覚を 子供たちや一般市民が持つようになりつつある。 まさに、危機感の薄い、平和呆け天国のムードであると言って過言ではない。 この社会的な流れを改善せずして、わが国がエイズ大国になる可能性を 抑えることは不可能なのではないだろうか。 外国の感染症研究家の友人から、 “日本のこの現状でエイズ大国にならなかったら、 感染症学の常識を破る奇跡が起きたといってよいのではないか” と言われたことを忘れることが出来ない。
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14 :名無しさん@Before→After[sage]:2013/04/04(木) 23:26:31.05 ID:ll2p2wiG - 21世紀は“根治治療ができない無症候性の性感染症時代”に突入したと称している。
HSV(Herpes simplex virus)は感染後に神経内に住み着くと、 一生消えることなく再発を繰り返す。 HBC(Hepatitis B virus)は若者の間に感染症として広がり始め、 最近はハネムーン肝炎などと話題となったりしている。 そしてその流行の激しいアメリカなどでは若者への ワクチン予防対策が積極的に進められつつある。 HCV(Hepatitis C virus)もB型肝炎ほど性交渉でうつらないとされてはいるものの、 最近わが国では注射器事故や輸血等と関係なく、若者の間で、 性交渉を介して伝染伝播しつつある。ことにクラミジア感染などで性器局部が荒れ、 易感染性の高くなっている若者にHCVの性的感染例が出つつある。 しかし一般的なそれら感染症に対する関心は、それらウイルス感染はエイズ/HIV感染ほどの 深刻・重大なものではないと考えられているためかかなり低い。 ただ、もう一つのHPV(Human papilloma virus;ヒト乳頭腫ウイルス)による 感染症に限っては、エイズ/HIV感染症と同程度の深刻な問題を持つ性感染症として、 最近注目が集まり始めている。
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15 :名無しさん@Before→After[sage]:2013/04/04(木) 23:43:20.32 ID:ll2p2wiG - 人格主義的モデルは、個人全体をその評価基準となる価値とみなしています。
個人の自由と責任、社会的価値、他の生きとし生けるものとの関係は全てこの 価値の結果として生まれています。私たちは、人間は生物学的に考えられるの みならず、その性質つまり本質全体で考えられるものであるという点において この人格主義のことを存在論を基盤としたものであると定義しました。そして その本質とは、精神が肉体となって具現され、精神が肉体に行き渡り肉体を形 成し肉体にいのちを与えるような方法で、精神と肉体が一つのものとなってい る個人の本質です。 このモデルによれば、個人が評価の基準であり社会の源なのです。そして個人が 宇宙の他の全ての物を超越する客観的な価値なのです。そしてこれこそが、倫理 的な全ての論議がなされなければならない価値なのです。したがって、HIV感染の 話をする時、感染を防ぐことだけが狙いなのではなく、生き方のモデルが提案さ れているのです。そしてその生き方のモデルは人の全ての価値の促進と保護を目 標としているのです。言い換えれば、人は、他の人が人の偉大さ、目的地、人の 使命であるいのちを全うすること、そして、人に関わる客観的真実全ての全領域 を発見する手助けがしたいのです。私たちに求められている目的や、真理や、成 長の本当の道を隠すことは、私たちの隣人や神への裏切りであり不信の行為なの です。 したがって、家族と忠実な結婚生活の価値に対する性の在り方の理想が提示され ているのです。これは生命と、肉体と、社会的契約と、社会に対する尊重から成 る積極的創造性を尊重することによって薬物の誘惑に打ち勝つことにつながる一 連の価値なのです。それは疑いもなく最も困難な道ですが、もしあなたが誰かが 山を登るのを手助けしたければ、あなたはその人が疲れたときに思いやりを持ち、 登りがきつい時にその人を支えてあげなければなりません。あなたは、危険な時 にその人の体をしっかり支えてあげなければならないかも知れませんが、あなた は、山が存在しないとか楽な道だとか言ったり、山を実際よりも低く言ったりし てその人をだますことはできません。登るのに困っている人を助けるために山を 低くすることはできないのです。
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