- 右も左も納得する天皇制国家作らね?
12 :名無しさん@3周年[]:2025/04/19(土) 06:23:01.87 ID:IbkvS9j5 - 古事記、日本書紀ともに雄略天皇は5世紀の人物で確定しているが、倭王武=雄略天皇という説が出ると6世紀初めまで生きていた可能性も浮上する
俺は雄略天皇は450年代〜460年頃生まれで505年頃に亡くなったでも通じるんじゃないかと思う 在位期間は日本書紀の23年、傍系で2世代先の継体天皇は日本書紀では没年齢から逆算すると雄略天皇の晩年には成人していたことになり雄略の皇子たちより年上になる 継体天皇が産まれた年が日本書紀の450年でなく古事記の485年だとしても505年には21歳になるからありえない話でもない 雄略天皇の父、允恭天皇は42年間も在位していない。古事記の16年ぐらいが現実的。在位期間を長くしたから宝算78歳になったというだけで、兄の反正天皇が亡くなったときに35歳だったのはおそらく事実 雄略天皇の兄、安康天皇は兄の木梨軽皇子を妹と姦通したことを理由に排除して即位し、自分も叔父の大草香皇子を殺し彼の妻を皇后に迎え、彼の妹を雄略の妻に迎えている。まだ即位していない雄略は他に反正天皇の皇女にも手を出そうとして拒否されており、36歳を過ぎた男性というよりまだ20歳前後で嫁さん探しを始めたところのようにも見える。安康天皇の皇后の中蒂姫命は履中天皇の皇女とも安康天皇の同母姉とも言われており、眉輪王の年齢は7歳と言われているから、安康天皇が亡くなった年齢も56歳を半分にした28歳が妥当なところだ 允恭天皇の在位期間が10数年だと登場する人物たちの年齢は若くて不自然さはない。42年だとジジババだらけでおかしい ただその場合、雄略天皇は父の允恭天皇が即位する前に既に誕生しており、父と母の夫婦仲が悪くなった話は父の即位前の出来事になる とにかく5世紀の大王の実際の在位期間は古事記や日本書紀が示す期間より何十年か後、更に過去に遡るほどズレが激しくなる傾向があるのは確かだ
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