- 日本保守党178
987 :名無しさん@3周年[]:2025/04/19(土) 20:31:35.04 ID:HfWbvNGv - 2025/03/26(水) 19:05:45.04ID:GrVFVjlH
☆古墳時代以降も現在と同じくけっこうな数の『戦利品渡来民』と『反日的な朝鮮半島難民』だったので日本の朝廷も難民部落の監視業務が大変でした。 飛鳥時代から平安時代にかけては、朝廷の政策により、朝鮮半島から 多数の渡来難民が東国方面に管理移配させられている。 当時の日本国は三韓諸蛮には常に厳しい対処で、 資料には『新羅人や百済人の素行の悪さが犯罪的に記述 されているもの』もある。 これら朝鮮半島出身の朝鮮諸蛮の遺民が東国へ の移配が、朝廷によりすべて管理されていた。 推古天皇9年(601年)、対馬に到った新羅の間諜迦摩多を 捕えて貢上し、上野に流す。 斉明天皇6年(660年)、百済が唐俘100余人を献上する。 今の美濃国不破郡・片縣郡の唐人等である。 天智天皇5年(666年) 百済人の男女2000人以上を東国に移配。 天武天皇13年(684年)、百済人の僧尼及び俗人の男女23人を 武蔵国へ移す。 持統天皇元年(687年)、投化した高麗56人を常陸国に、投化した 新羅人14人を下野国に配する。 又、新羅の僧侶及び百姓の男女22人を武蔵国に配し、 持統天皇2年(688年)、百済の敬須徳那利を甲斐国に移す。 持統天皇3年(689年)、投化した新羅人を下毛野 持統天皇4年(690年)、帰化した新羅の韓奈末許満等12人を武蔵国に、 又、帰化した新羅人等を下毛野国へ。
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