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名無しさん@3周年
21世紀の資本主義、民主主義等を考えるスレ2

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21世紀の資本主義、民主主義等を考えるスレ2
770 :名無しさん@3周年[]:2020/10/18(日) 08:35:26.77 ID:nRp+6i80
これいいね

https://www.yomiuri.co.jp/serial/earth/20201018-OYT8T50001/
[地球を読む]揺らぐ世界秩序 中国の夢と新興国台頭…白石隆 熊本県立大理事長 2020/10/18 読売

 「平和と繁栄の安定した時代は終わった」とよく言われる。冷戦時代の「自由世界」とポスト冷戦期の「グローバル化世界」を支えた「米国による平和(パックス・アメリカーナ)」と自由主義的経済秩序が揺らいでいるからである。その証拠に強権的指導者が世界各地で跳梁ちょうりょうし、国際ルールと規範を無視し、時には力をもって他国に自分の意志を押し付けようとする。

 どうしてこんなことになったのか。その一つの理由は中国の台頭である。

 この20年の中国の国力伸長は著しい。世界の国内総生産(GDP)に占める割合は2000年の4%から19年には4倍の16%となった。一方、米国のシェアは00年の31%から19年には25%まで落ちた。

 これに伴い、中国人は、「我々は世界のどんな国よりも大きい」という大国主義的ナショナリズムを当然と見なすようになった。12年の就任以来、習近平・国家主席は「中華民族の偉大な復興」という「中国の夢」を国家の大目標とした。米国に並ぶ大国になるということである。以来、中国は共産党一党独裁と国家資本主義の国内体制を維持したまま、軍事、経済、科学技術などあらゆる分野で強国化に邁進まいしんしている。

 国際秩序の揺らぎを招いたもう一つの要因はグローバル化そのものにある。

 新興国の多くはこの20年で目覚ましい経済成長を遂げ、中所得層が拡大した。グローバル化の恩恵である。経済が好調だと、自信が生まれる。市民は、「これからは自分たちの時代だ」と考え、先進国の「上から目線」に反発する。

 グローバル化によって先進国では富裕層がより豊かになった一方、下位所得層はほとんどメリットを受けなかった。所得格差拡大への不満に、反移民感情が複雑に加わり、グローバル主義への反発と内向きのナショナリズムが広がった。
21世紀の資本主義、民主主義等を考えるスレ2
771 :名無しさん@3周年[]:2020/10/18(日) 08:35:51.73 ID:nRp+6i80
>>770
日本が国際連携主導を
 では、これからの国際秩序はどうなりそうか。米中「新冷戦」が始まるのか。多極化が進展し、各地で新興国が勢力圏構築争いを始めるのか。

 おそらく、そのいずれでもないだろう。

 日本、豪州、欧州諸国など先進国の大半は米国の同盟国だ。同盟の重要性もよくわかっている。米国がリーダーシップを取ることができにくい状況下、同盟国が米国に代わって世界秩序の維持と、その進化のためにできることをしなければならない。そういう意識も生まれつつある。

 これまでの世界秩序を支えた「米国による平和」と自由主義的経済秩序の揺らぎは今後も続く。未来の見通しはこれからも当分、良くない。

 どうすればよいのか。少しでも不確実性を下げることである。日本としては、これまで通り、国際的ルールと規範を守り、秩序の維持と進化のために心ある国々と協働することである。

 防衛力拡充と科学技術振興による日米同盟の強化に加え、豪州やインド、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国と安全保障と経済の両面で連携し、自由主義的経済秩序のための国際連携のイニシアチブを取ること――。これが菅首相に期待される。
21世紀の資本主義、民主主義等を考えるスレ2
772 :名無しさん@3周年[]:2020/10/18(日) 09:59:21.86 ID:nRp+6i80
歴史を知ることは大事だ
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20200818-OYT8T50007/
戦後75年に考える シベリア抑留の悲劇はなぜ起きたのか 調査研究本部 丸山淳一 2020/08/19 読売

「日本人将兵50万人を捕虜に」…スターリンの極秘指令

 守備隊の奮戦で出端ではなを挫くじかれたスターリンが、北海道占領を断念せざるを得なくなった経緯は以前に紹介した(「スターリンの野望」北海道占領を阻止した男)。占守島では8月21日に停戦協定が成立し、日本兵は23日に武装解除するが、苦難はまだ終わらなかった。スターリンはこの日に、「日本人将兵50万人を捕虜とせよ」という極秘命令を出したからだ。

 この命令によって、千島だけでなく、旧満州や朝鮮、樺太などにいた日本人57万5000人がシベリアの収容所に強制連行された。その1割にあたる約5万4000人が、過酷な労働や食糧不足で死亡したとされる。シベリアへの抑留は「武装解除した日本兵の家庭への復帰」を保証したポツダム宣言第9項や、捕虜の扱いを定めた国際法に明確に違反する。

 対日参戦の裏には、昭和20年(1945年)2月のヤルタ会談で米英とソ連が結んだ密約があり、スターリンはそれ以前から日露戦争や日本のシベリア出兵への“報復”を考えていたとされるが、スターリンが国際的な犯罪を強行できた一因に、日本政府が終戦のために進めようとした和平交渉の影響をあげる説がある。

木戸試案、確信のないままソ連の仲介に期待

 「海外の軍隊は現地に於おいて復員し、内地に帰還せしむることに努むるも、止むを得ざれば、当分その若干を現地に残留せしむることに同意す」「賠償として、一部の労力を提供することには同意す」
 「若干」「一部」とはいえ旧満州などの日本軍将兵を抑留し、その労力を戦時賠償として提供することに同意する、とある。60万人近いシベリアへの抑留は想定していなかっただろうが、捕虜の労働力を戦利品として考えていたスターリンの意向にあわせた提案にみえる。

瀬島は回想録『幾山河』のなかで、ソ連側に差し出した文書について「ソ連軍が戦争で破壊された旧満州の鉄道の修理などをするときは、関東軍としても労働力の提供などで協力するという意味で、シベリア抑留とは全く関係ない」と、この説を強く否定している。
真実は今も、はっきりしない。
21世紀の資本主義、民主主義等を考えるスレ2
773 :名無しさん@3周年[]:2020/10/18(日) 10:05:49.12 ID:nRp+6i80
歴史を知ることは大事だ
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20190125-OYT8T50003/
「スターリンの野望」北海道占領を阻止した男 2019/01/27 読売

 ソ連の最高指導者だったヨシフ・スターリン(1878〜1953)が最初に目指した「第二次世界大戦の結果」は、北方4島ではなく、北海道の北半分だった。南樺太と千島列島でソ連軍と対峙たいじした第5方面軍司令官、樋口季一郎(1888〜1970)中将の決断がなければ、スターリンの北海道占領の野望は実現していた可能性が高い。

「断乎反撃、撃滅すべし」樋口司令官の決断

 1945年(昭和20年)8月9日未明、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して満州に侵攻する。11日には南樺太でもソ連軍が日本領への攻撃を始めた。スターリンはこの半年前に開かれたヤルタ会談でフランクリン・ルーズベルト米大統領(1882〜1945)、チャーチル英首相(1874〜1965)と秘密協定を結び、日本に参戦する見返りとして南樺太とすべての千島列島を得る了承を得ていた。

 14日、日本はポツダム宣言の受諾を決め、15日に終戦の詔書が出される。第5方面軍司令官だった樋口は16日、心を平静にし、軽挙妄動を慎んで規律を乱さぬよう訓示している。大本営は同じ日、全部隊に「やむを得ない自衛行動を除き、戦闘を中止せよ。18日午後4時までに徹底するように」との命令を出した。

 ところが、南樺太のソ連軍は戦いをやめず、さらに18日には千島列島でも占領作戦を開始する。千島列島北端の占守島しゅむしゅとうに上陸し、戦車の砲門を外すなどして武装解除を進めていた日本軍を攻撃したのだ。

 大本営の命令に従えば、18日の午後4時には完全に戦闘をやめなければならない。だが、それまでの自衛戦争は許されていた。樋口は大本営にはお伺いを立てず、独断で島を守っていた第91師団の堤不夾貴ふさき師団長に「断乎反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」と命じた。

 樋口の『遺稿集』には、「すでに終戦の詔書が下り、私(樋口)には完全なる統帥権が無かった。しかし、自衛権の発動に関し堤師団長に要求したところ、彼等は勇敢にこの自衛戦闘を闘った」との記述がある。濃霧で上陸に手間取っていたソ連軍を、砲火を波打ち際に集中してたたく作戦が奏功して、ソ連軍は大損害を被った。
21世紀の資本主義、民主主義等を考えるスレ2
774 :名無しさん@3周年[]:2020/10/18(日) 10:13:09.98 ID:nRp+6i80
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20190125-OYT8T50003/2/
「スターリンの野望」北海道占領を阻止した男 2019/01/27 読売

 樋口の懸念はそれだけではなかった。大本営の戦闘停止命令が届いた17日、樋口は別の理由から自衛戦争を決意している。

 「私自身はソ連が更に進んで北海道本島を進攻することがないかと言う問題に当面した。私としては相当長期にこの問題に悩んでおり、一個の腹案を持った。即すなわち、ソ連の行動如何によっては自衛戦闘が必要になろうということだ」(『遺稿集』)。

 この懸念は当たっていた。ロシアに残されている当時の公文書によると、スターリンは対日参戦直前に「サハリン(樺太)南部、クリル(千島)列島の解放だけでなく、北海道の北半分を占領せよ」と命じていた(1990年12月25日 読売新聞夕刊)。
21世紀の資本主義、民主主義等を考えるスレ2
775 :名無しさん@3周年[]:2020/10/18(日) 10:15:00.85 ID:nRp+6i80
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20190125-OYT8T50003/3/
「スターリンの野望」北海道占領を阻止した男 2019/01/27 読売

 北海道占領を断念したスターリンは8月28日、南樺太の部隊を択捉えとろふ島に向かわせ、国後くなしり島、色丹しこたん島、歯舞はぼまい諸島を次々に占領した。「本来は北海道に送り込む部隊を、仕方なく腹いせのように北方4島に送ったのではないか」と隆一さんはいう。

米国を動かした「もうひとりのスギハラ」

樋口を戦犯として引き渡すように申し入れたが、マッカーサーはこれを拒否した。米軍とのパイプもあったのだろうが、背景にはユダヤ人団体が引き渡しに反対して圧力をかけたといわれている。

 樋口はハルビン陸軍特務機関長を務めていた1938年(昭和13年)、ナチスに追われてソ満国境のオトポール(現ザバイカリスク)に逃げ込んできたユダヤ系ドイツ人に食料や燃料を配給し、日本政府と軍部を説き伏せて、満州国の通過を認めさせていた。

 ドイツは日本に抗議し、関東軍司令部は樋口を呼び出して査問するが、樋口は参謀長だった東条英機(1884〜1948)に「参謀長、ヒトラーのお先棒を担いで弱いものいじめすることは正しいと思われますか」と問いかけた。東条も樋口を不問に付し、「当然なる人道上の配慮によって行った」とドイツの抗議を一蹴したという。

 この逸話から、樋口は近年「もうひとりの杉原千畝ちうね(1900〜86)」と呼ばれることもある。隆一さんは「祖父は合理的に物事を考える人だった。ユダヤ系ドイツ人を救ったのは、杉原のように外交官としての信念というよりも、筋が通らないことが嫌いだったからだろう」と話す。

 1月28日放送の深層NEWSに出演した樋口隆一さん(写真左から3人目)は、「(ソ連軍の侵攻は)明らかに国際法違反。日露戦争の復讐ふくしゅう戦だった」と指摘し、ロシア側が第二次世界大戦の結果を受け入れるよう求めるのは「国際法違反ということを蒸し返させないためではないか」と指摘した。近代日本政治史に詳しい慶応大教授の片山杜秀さん(同2人目)は「(不法占拠された)結果を受け入れるのはあまりにも不条理。千島列島全体が日本領だと主張して妥協点を探るような交渉をしてもいいくらいだ。あわてて(返還交渉の)結論を出すべきではない」と話した。
21世紀の資本主義、民主主義等を考えるスレ2
777 :名無しさん@3周年[]:2020/10/18(日) 22:16:51.69 ID:nRp+6i80
おつです


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