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名無しさん@3周年
21世紀の資本主義、民主主義、地球環境、国連主義 [無断転載禁止]©2ch.net

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21世紀の資本主義、民主主義、地球環境、国連主義 [無断転載禁止]©2ch.net
605 :名無しさん@3周年[]:2018/07/12(木) 10:18:16.62 ID:g0hrRSJR
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32813820Q8A710C1000000/?df=2
ヤフー発見 孫氏を動かした一言 ネット興亡記 日経
コラム(ビジネス) ネット・IT
(2/2ページ)2018/7/11 6:30

 「大企業からとやかく指示されるのはごめんだ」。2人の若者のベンチャー気質も、孫をパートナーに選んだ理由だったようだ。孫は社長室長だった井上雅博を2人のもとに送り込み、ヤフー・ジャパン発足に向けて動き始めた。

 孫のM&Aラッシュの総額は、ざっと5000億円。だが、そのほとんどが失敗だった。反感を買ったテレビ朝日株も、取得時と同額で売却を余儀なくされた。孫自身も後にこう語っている。

 「大型買収が立て続けに損切りで売却。まあ、かっこ悪いですよね。もう自信喪失ですよ」

 ところが、ゲイツの助言を頼りに「発見」したヤフー1社によって数々の失敗を帳消しにしてしまう。

 孫はヤフーに100億円余りを出資するが、これがピーク時に日本円換算で13兆円に。額面5万円のヤフー・ジャパンも上場後の2000年に株価が1億円を付けた。

■孫氏を見ていた男

 揺れ幅が大きい株価より、事業面での貢献が大きい。ヤフー・ジャパンの安定した収益は、ブロードバンドや携帯電話への参入など2000年代に入ってからの孫の挑戦を支えることになる。

 ただ、孫はヤンとの会話の中に不安の種が潜んでいたことを認めている。

 「実はジェリー・ヤンと僕とでは、ひとつだけ意見が違うことがあったんです」。それが検索エンジンへの考え方だった。後にこの考えの相違が米ヤフーの致命傷となるのだが、この頃はまだ孫もその重要性を見過ごし、目をつぶってしまっていた。

 ところで、孫がジフ・デービス買収を仕掛けた際に日本興業銀行(現みずほ銀行)の担当者だったのが、三木谷浩史という行員だった。米ハーバード大学への留学中に、ジフ社創業者の息子と知り合ったことが縁だった。

 孫のジフ社買収計画は一度失敗するが、孫はあきらめない。二転三転しながらも野望を実現していく。敗北を認めなければ負けはない――。その姿に三木谷は起業家のあり方を見た。

 そして95年1月17日、三木谷の運命が変わる。この日、孫とともにニューヨークに出張する予定だったが、大地震が故郷・神戸を襲った。
21世紀の資本主義、民主主義、地球環境、国連主義 [無断転載禁止]©2ch.net
606 :名無しさん@3周年[]:2018/07/12(木) 10:18:40.13 ID:g0hrRSJR
>>605
 予定をキャンセルして地元に戻った三木谷は、公民館に並んだ500もの遺体と対面する。初めて死を意識したという三木谷はこの時の心境を後にこう語った。

 「一度きりの人生を思い切り生きなければならない。いつかではなく、今すぐにやりたいことをすべきなのだ」

 それは三木谷が楽天の起業を決意した瞬間だった。

=敬称略

(杉本貴司)
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607 :名無しさん@3周年[]:2018/07/12(木) 10:19:29.17 ID:g0hrRSJR
>>606

「ネット興亡記」
ネットを舞台にした起業家たちの興亡を電子版「ビジネス」で全9回連載しています。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32648740V00C18A7000000/
21世紀の資本主義、民主主義、地球環境、国連主義 [無断転載禁止]©2ch.net
608 :名無しさん@3周年[]:2018/07/12(木) 10:21:35.09 ID:g0hrRSJR
>>607

「ネット興亡記」
第二の産業革命ですね
かつ、現代の三国記ですね
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609 :名無しさん@3周年[]:2018/07/12(木) 16:27:07.52 ID:g0hrRSJR
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/090600161/071000057/
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メルカリ社長「死がよぎった『仕事の大失敗』」
ビジネス人生で一番強烈だった“あの日の出来事”
小泉 文明=メルカリ社長

バックナンバー
[1/3ページ]
2018年7月12日(木)

今年6月に晴れて上場したメルカリ。就任2年目となる社長兼COOの小泉文明さんは、メルカリ入社前は大和証券SMBC(現・大和証券)でIPO(新規株式公開)を担当し、その後、ミクシィで執行役員CFO(最高財務責任者)を務めるなどキャリアを着実に築いてきた。ただ、新卒1年目で死を意識するほどの大失敗を経験したという。

(まとめ:呉 承鎬)

「死のう、道路に飛び込んで」

 私が発作的にそう思ったのは、社会人1年目の冬でした。原因は、未熟な自分が仕事でやらかしてしまった大きな失敗。この時ほどつらい経験は、現在に至るまでありません。

 当時の大和証券SMBC、ミクシィ、現在のメルカリ。どの職場やポジションでも私が大事にしてきた働き方は、この原体験に強く影響を受けています。

毎晩、眠るのが怖い
 「子会社が上場できるかどうか」は、その親会社に与える影響も大きいので、のしかかる責任は半端なものではない。クライアントに「新入社員だから“使えない”のか」と思われる事態だって、絶対に避けなければいけません。

 「万が一、このIPOを失敗したら…」。当時の私は恐怖心から、文字通り、「ずっと」仕事をしていました。会社のパソコンに向かっていないと不安で、家に帰って眠るのが怖かった。毎晩1〜2時間しか眠れず、「朝5時出社」が日課。今思えば、うつ病になりかけていたのだと思います。
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610 :名無しさん@3周年[]:2018/07/12(木) 16:27:47.14 ID:g0hrRSJR
>>609

 とにかく死ぬ気で仕事をしたのですが、私は最後の最後で大チョンボを犯してしまいました。何と、最終過程で財務局に提出する「有価証券届出書」に、まさかのミスが発覚。しかも、締め切り当日に。ここで、それまでずっと張り詰めていた気持ちがプツッと切れた。

 「あれほど準備したのに…」と自分で自分が情けなくなって、泣きながら六本木通りを走りました。…正直に言うと、車が激しく行き交う道路に飛び込もうと考えたんです。寸前で「死んでもどうにもならない」と何とか思い直せましたが。

 気持ちを落ち着けて、真っ先にクライアントに謝罪です。言い訳をしないで「すみませんでした」と謝ったら、「大丈夫、大したことではないから」と逆に慰めていただけました。振り返れば、確かにそれほど大した失敗ではない。修正して提出を間に合わせることもできました。でも、当時の自分は社会人としての経験も判断力も足りなかったから、「世紀の大失敗」と受け止めたんですよね。

 IPOを1人で任されて、失敗が怖いからがむしゃらに働きましたが、実際に失敗して本当の怖さを痛感しました。「こんな失敗は二度としたくない」。その思いが「仕事は常に全力で取り組む」という今の姿勢を根底で支えているし、「自分は気が緩んでいないか?」との戒めにもなっています。
引用終わり


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