- ●天皇制の廃止のメリットを書いていくスレ其の15●
484 :名無しさん@3周年[sage]:2018/06/10(日) 00:11:21.81 ID:lxm1JHIK - ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/55270
日本人なら知っておくべき特攻の真実〜右でもなく、左でもなく… 当事者の証言とデータから実像に迫る 神立 尚紀 2018.4.15 支那事変(日中戦争)、ソロモン、硫黄島と激戦を潜ってきた角田和男少尉は、 昭和19(1944)年11月6日、部下の零戦3機とともに飛行中、エンジン故障で不時着した基地で、 「当基地の特攻隊員に一人欠員が出たから、このなかから一人を指名せよ」と命じられ、 「このなかから一人と言われれば、自分が残るしかない」 と覚悟して特攻隊を志願した。 角田さんは、 「昭和15(1940)年、第十二航空隊に属し、漢口基地から重慶、成都空襲に出撃していた10ヵ月の間、 搭乗員の戦死者は一人も出なかった。 それが、昭和17(1942)年8月から18(1943)年にかけ、 ソロモンで戦った第二航空隊(途中、五八二空と改称)は、 補充を繰り返しながら一年で壊滅、しかし一年はもちました。 昭和19(1944)年6月に硫黄島に進出した二五二空は、たった三日の空戦で全滅し、 10月、再編成して臨んだ台湾沖航空戦では、戦らしい戦もできなかった。 そんな流れで戦ってきた立場からすると、 特攻は、もうこうなったらやむを得ない、と納得する部分もありました」
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485 :名無しさん@3周年[]:2018/06/10(日) 00:16:50.33 ID:lxm1JHIK - 開戦したのは昭和16年の12月。
ソロモンの零戦隊が壊滅したのが17年の8月から18年にかけて。 植民地に供与した時代遅れの戦闘機は圧倒したが、 アメリカ正規軍と戦い始めたら開戦約1年で歯が立たなくなっていた。 開戦数カ月前まで日本の航空エンジン工場にアメリカ人技術者が常駐し、 技術指導していたのだから勝てるはずがない。 真珠湾攻撃(英: Attack on Pearl Harbor、 日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日) ttps://www.youtube.com/watch?v=YpdKuFerqoY 【零戦のプロペラ】実は、日本の技術ではなかった。いったい何処の国?
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486 :名無しさん@3周年[sage]:2018/06/10(日) 00:19:37.19 ID:lxm1JHIK - 中川良一 元中島飛行機株式会社 三鷹研究所試作部次長
「中島飛行機エンジン史」 執筆あとがき …太平洋戦争に突入した時に我々は直前に噂は聞いていたものの、 全面戦争に突入したと聞いたときに一同愕然且つ暗たんとしたものである。 というのは海軍機用としてハワイ攻撃に参加した主力の”栄”や…”光” などの海軍向けエンジンは僅かに小さな荻窪工場で作っていたこと、 戦争前にカーチスライトの技師が生産指導に來所していて その能力を熟知していたこと、太平洋決戦機として海軍が試作をした”誉”は 試作指示後僅か1年半でまだ海軍の耐久も終わっていなかったこと、 協力工場のレベルの低いことなどで、 全く勝ち味のないことが分かっていたからである。 緒戦の奇襲勝利後は、半年後のミッドウェーの惨敗以後、 全くの一方的なものとなってしまったわけである。 結局このような集団が身を挺して働いたが報いられることはなかった。 終戦後にこれらの経験は、プリンス(富士精密)からの日産自動車、 富士重工、あるいはかなりの人達が揺籃期に入った本田技研 その他多数の内燃機関に関係する機械工業に受けつがれ、 日本の高度成長に貢献していることは喜ばしいことである。
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487 :名無しさん@3周年[sage]:2018/06/10(日) 00:22:44.65 ID:lxm1JHIK - 吉田裕「昭和天皇の終戦史」1992年
ここでは当時の宮中の雰囲気をよく伝えるものとして、侍従の入江相政の変化について簡単にみてみよう。 『入江相政日記1』によれば、入江は当初、対米開戦に大きな危惧と不安を抱いていた。 ところが海軍の侍従武官から勝算が充分にあるという見通しを聞かされてからは開戦支持に転じ、 開戦後の四一年一二月三一日の日記には、 「大東亜戦争の戦果による将来の帝国の振々乎たる発展を思い、全く感慨無量である。 みたみ〔御民〕われ、生けるしるしありと思い、かくも栄ゆる御代に会えるとは思わなかった。 もうどんな辛抱でもする。帝国民族一万年の計を樹立して、 東亜の天地、世界の天地に盟主として君臨しなければならない」 と書くまでにいたっている。
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488 :名無しさん@3周年[]:2018/06/10(日) 00:32:08.25 ID:lxm1JHIK - >戦争前にカーチスライトの技師が生産指導に來所していて
>その能力を熟知していたこと >全く勝ち味のないことが分かっていたからである >緒戦の奇襲勝利後は、半年後のミッドウェーの惨敗以後、 >全くの一方的なものとなってしまったわけである >それが、昭和17(1942)年8月から18(1943)年にかけ、 >ソロモンで戦った第二航空隊(途中、五八二空と改称)は、 >補充を繰り返しながら一年で壊滅 >昭和19(1944)年6月に硫黄島に進出した二五二空は、たった三日の空戦で全滅 >大東亜戦争の戦果による将来の帝国の振々乎たる発展を思い、全く感慨無量である >かくも栄ゆる御代に会えるとは思わなかった >もうどんな辛抱でもする >東亜の天地、世界の天地に盟主として君臨しなければならない
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489 :名無しさん@3周年[sage]:2018/06/10(日) 00:40:08.97 ID:lxm1JHIK - 松本崇「持たざる国への道」 解説 加藤陽子
一九三〇年代半ばになっても…欧米列強は、二九年の…世界恐慌の痛手から脱することができなかった。 それに対し、高橋是清蔵相による一連の施策…によって いち早く恐慌を脱出できた三〇年代半ばの日本の経済や社会は、十分な輝きや勢いを持っていた。 著者はそのさまを、同時代人…宇垣一成の感慨 「その当時の日本の勢い…は産業も着々と興り、貿易では世界を圧倒する…」を引用し…確認する… 日本…と、イギリスがその植民地向けに輸出した額の比較では、一億ポンドのラインで…競っていた 日英の順序は一九三七年に逆転し、この時点で日本が世界最大の植民地帝国となっ…た… 続いて展開される著者の「問い」…三七年七月…日中戦争の泥沼化とともに国民生活が逼迫し始めると、 その責任を国民に説明するにあたって国家は、 「英米のブロック経済が『持たざる国』である我が国を追い込んだため」と喧伝する。 しかし…三〇年代半ばの日本が英米の嫉妬を買うほどの好況であったとすれば、 「繁栄していた我が国が突然『持たざる国』になって窮乏化していった」…のはおかしくはないか… むしろ、原因と結果が逆だったのだ。経済合理性を無視して満州経営をおこなった陸軍…は続いて、 政府や財界をも巻き込み、通貨戦争…で、考えられないような愚作を華北分離工作でおこなった。 国民生活を窮乏化させた真因は、「軍部による経済的な負け戦」であったのに、 「英米の敵対政策のせいだと思い込んだ国民は、英米への反感を強め、 実はそれをもたらしている張本人である軍部をより一層支持するようになっていった」…との パラドクスとアイロニーが描かれる。
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490 :名無しさん@3周年[]:2018/06/10(日) 00:41:28.82 ID:lxm1JHIK - >国民生活を窮乏化させた真因は、「軍部による経済的な負け戦」であったのに、
>「英米の敵対政策のせいだと思い込んだ国民は、英米への反感を強め、 >実はそれをもたらしている張本人である軍部をより一層支持するようになっていった
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491 :名無しさん@3周年[sage]:2018/06/10(日) 00:57:12.60 ID:lxm1JHIK - 松本崇「持たざる国への道」
当時の国定教科書… 「我が国は、さきに内鮮一体の実を挙げて、東洋平和の基を築き、 今また、日満不可分の堅陣を構えて、東亜のまもりを固めました… 米・英の両国は、重慶政府を助けて、支邦事変を長引かせるばかりか、太平洋の武備を増強し、 わが通商をさまたげて、あくまで、我が国を苦しめようとしました。 しかし、我が国は、なるべく事をおだやかに解決しようと、 昭和十六年の春から半年以上も、誠意をつくして、米国と交渉を続けましたが、 米国は、かえって我が国をあなどり、 独・ソの開戦を有利とみたのか、仲間の国々と連絡して、しきりに戦備を整えました。 こうして、長い年月、東亜のために尽くしてきた我が国の努力は、水の泡となるばかりか、 日本自身の国土さえ危なくなってきました。昭和十六年十二月八日、 しのびにしのんで来た我が国は、決然としてたちあがりました」(初等科「国史」下、昭和十八年)
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492 :名無しさん@3周年[]:2018/06/10(日) 01:03:26.53 ID:lxm1JHIK - 日本は英米に追い詰められたから戦争をしたのではない。
ドイツが英仏に戦争を仕掛け、アメリカが大恐慌から中々立ち直れず、 欧米が本国の内外政で手一杯だから、その隙と弱みを突いて開戦したのである。 それで開戦数カ月前までアメリカ人に自分を技術指導させながら、 突然、裏切り行為によって切りかかった。その説明に『英米が日本を追い詰めたから…』と国民を騙したのだ。 だが実は、日本は英米にそれまで支援されていたのである。
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