- 右翼になろうよ♪
684 :禊健太郎 ◆CMF.YwtoAw []:2017/10/20(金) 14:32:33.32 ID:tRlucUj+ - 権力史観では、
応仁の乱のあと、戦国時代の混乱に入る。 それを、信長、秀吉、家康によって、江戸時代の統一へ至る、と考えるが、 民衆史観を考えなければならない。 戦国時代、国が混乱する中で、 平安時代からの荘園制が崩れ、 イエが集まった自治惣村が成立していく。 むしろ自由に豊かになっていく。 ムラは中に武士、商人、お寺を持ち、治安、司法、経済を内包する。 秀吉が行ったのは、全国のムラムラを統治することだ。 太閤検地は管理するだけでなく、中間搾取を排除し、より直接、ムラから効率的に税をとる。 刀狩りは、ムラから暴力を一掃する。代わりに秀吉が治安を守る。 さらに家康は檀家制によって、すでにムラムラにある寺を整理して、 農民の住人台帳を作らせて、管理する。 ようするに、すでにあるムライエと対立するのではなく、それを活用し統治するよう進めた。 だからムライエのもつ自治や生産性向上は任せた。 いわば、日本の荘園制に近い体制が残り続けた西洋の農奴制とは違う。 左翼は、すぐに西洋の農奴をもとにした差別史観をそのまま、日本の農民にも展開するが、 それが大きな間違いである。 江戸時代以降も、ムライエは自立的な大きな力を持ち続けた。 その具体的な現れが一揆であるが、一揆は単なる反乱でもましてや革命ではなく、 正統な法を越えた武士層への訴える方法であった。 日本で近代革命が起こらなかったのは、ムライエは自治権をもち革命を起こす必要が無かった。 明治維新でも、戦国時代、江戸時代、明治、そして現代まで、日本の基盤としてのムライエは変わっていない。 世間はそのような基盤をもとに、江戸時代の平安と豊かさの中で生まれてきた。
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