- 靖国の背景を考える★129
406 :名無しさん@3周年[sage]:2011/10/13(木) 18:02:21.27 ID:A5A8p4fw -
国家理性って言葉をご存知ですか?以下は国際政治思想が専門の大学教授が書いた論文からの引用です。 ------- (国家理性とは)「個人の道徳や通常の法規からの「逸脱」を合理化し、違反の「阻却」を求める論理である。 それはまた、国際的な規範や条約の遵守より国家の生存を優先するという「国益」の論理の礎石となってる」 ------- 戦前、こうした国家理性の考え方を蓋然と擁護した哲学者にヘーゲルが居ます。 ヘーゲルが抱えていた国家理性と個人道徳の関係は、以下のように考えていたと論じています。 ----- 「他者に迷惑をかけない、他人の権利を侵害しない」という便宜的な市民社会の個人道徳は、 最終的には古代ギリシアの政治的統一の近似物というべき、人倫の最高段階としての国家という 共同体精神に席を明け渡せなければならない。 ----- また同じく、ヘーゲルにおいて国家理性と国際法の関係における考えは以下の通りです。 ---- 「条約や国際法はあくまでも達成目標としての「当為」にとどまり、現実態かつ最高善としての個体の 「存在」(生存)と比べて二義的な価値しか持ち得ない。」 ---- このスレで良く散見される主張として、不戦条約以降は生存の為であっても侵略戦争は理解し難いものになったとする考えがありますが、 上記のような国家理性の考え方は、戦後においてもモーゲンソーに引き継がれ、国際政治を俯瞰する際に、 説得力のある一つの考え方として位置付けられました。 また、こうした個別的な国家における国益の論理を中心的に考察する現実主義は、90年代以降に二つに別れました。 国家の生存を危険に晒しても国益を最大化する上で、リスクを引き受けるのが国家の動態であるとする攻撃的リアリズムと、 国家の生存について重大な危機を引き寄せてまで、国益を最大化することがないとする防衛的リアリズムです。 前者で有名な学者はミアシャイマー、後者はウォルツです。 様々な考えがあるとはいえ、時代を跨いだ上で、比較的に平和な社会の中で、負荷を抱えることのない人間では理解し難いような認識が、 国家を預かるような指導層は抱えた上で、国際政治に向き合っていたという深慮があっても良いのではと思う次第で御座います。
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