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名無しさん@3周年
靖国の背景を考える★127

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靖国の背景を考える★127
593 :名無しさん@3周年[sage]:2011/09/08(木) 14:36:47.01 ID:gVsJz9cc

フーコーによれば規律によって内在化された近代社会の有り様は、不可知化された価値や身体の
効率的な管理技術によって一層の権力に対する従順な拘束を可能にし、管理されている自己への
眼差しから逃れられないとしている。疑うことに関心がなく自己決定に対して他律的な意識の形成は、
自らが望んでいるという錯覚によって自己決定のプロセスをショートカットして、権力による
規範性の内在化によってもたらされる重篤で従順な被管理者を生み出すのではないだろうか。
それは近代啓蒙思想のまなざしによって得難い自己の喪失と言い換えても良いのかも知れない。


靖国の背景を考える★127
595 :名無しさん@3周年[sage]:2011/09/08(木) 16:09:44.44 ID:gVsJz9cc

>>594

>お前、自分が書き込んだことを理解しているのか?

近代啓蒙思想を基底とした規律訓練型権力の分析を行ったフーコーの試みは、
ニーチェによって提示された規律という概念をより巧みに駆使して、
人々のまなざしに働きかけをするということになります。

近代社会における統治権力は不可視化された内在する権力として、あたかもパノプティコンの
牢獄のように見えない鎖で人々を拘束するのではないでしょうか。


靖国の背景を考える★127
615 :名無しさん@3周年[sage]:2011/09/08(木) 21:55:01.72 ID:gVsJz9cc

エーリッヒ・フロムによる「自由からの闘争」の主たるテーマは、ファシズムに対する
心理学的アプローチであり権威主義的なパーソナル形成は近代社会が獲得したとする、
自由からの逃走によってファシズムに走る傾向を分析したところにあります。
こうした傾向は権威主義に対するサディズムとマゾヒズムの関係に等しく、
自己投影と同一化によって容易に自由を放棄し、扇情的なイデオロギーに自ら進んで
慕おうとする心理の発露として考えられると言えるのだと思います。


靖国の背景を考える★127
624 :名無しさん@3周年[sage]:2011/09/08(木) 22:33:57.04 ID:gVsJz9cc

>>620

>サディズム的な性格は、俺の中も含めて、みなさんにも見つけることはできませんか?w

フロムによって明らかにされた「自由からの逃走」とは、サディズムに仮託した権威に寄り添い
マゾヒスティックな自己同一化によって、近代社会が獲得したとされる自由から逃走することであって、
大衆がサディスティックな権威主義者になることじゃないです。


>>621

>俺は、日本の国家神道はファシズムと同じようなものだと思ってるんだけど

フロムの考察を国家神道に投影して、そのファシズム的な性格と大衆との関係について考えると、
自由への標榜を放棄してファナティックな軍国主義に自己投影をし、フロムがいうところの
実存的孤独からの逃避として容易に国家神道に自発的服従を求める大衆心理にこそ
提起された問題の深層があるんじゃないでしょうか。


靖国の背景を考える★127
626 :名無しさん@3周年[sage]:2011/09/08(木) 22:56:00.97 ID:gVsJz9cc

>>625

フロムによって明らかにされたのは、個々人の自由に対する責任ある自己の確立から逃走し、
権威に寄り添う心理によってナチズムの大衆に見られる社会病理的な権威への誘惑から、
どうやって依存欲求と立ち向かうかといった個人にとっての社会との有り様を解き明かし、
被支配者が同調圧力に迎合することなく他者へのまなざしや自由を尊重する態度を取り戻す
処方箋を提示したことにあるんじゃないでしょうか。


靖国の背景を考える★127
630 :名無しさん@3周年[sage]:2011/09/08(木) 23:11:13.24 ID:gVsJz9cc

>>627

フロムはサドマゾ的な権威主義を普遍的人間像とはみなしてないです。「自由からの逃走」は
人々が自由な日常に堪えられなくなって、権威に依存する逃避行動をとることで権威主義的な
サディズムの側に絡め取られる問題を提起し、他者への自発的な従属が人間性の肯定を阻害し、
近代社会が獲得した自由という個人にとって尊重すべき重要な要素を取り戻す必要性を説いたのでしょう。


靖国の背景を考える★127
634 :名無しさん@3周年[sage]:2011/09/08(木) 23:18:48.41 ID:gVsJz9cc

>>633

必要性を向けたのは大衆が常に普遍的な理念を上位価値として認めるとは限らず、
主体的自由よりも保護され従属する権威者に絡め取られやすいという心理傾向です。


靖国の背景を考える★127
639 :名無しさん@3周年[sage]:2011/09/08(木) 23:31:18.72 ID:gVsJz9cc

>>635

フロムが「自由からの逃走」で提示した眼差しの対象はナチズムによる権威主義であり、
近代社会全体の傾向じゃないです。


靖国の背景を考える★127
647 :名無しさん@3周年[sage]:2011/09/08(木) 23:59:26.26 ID:gVsJz9cc

>>640

オルテガによれば大衆とは「自らを評価しようとせず、みなと同じだと感ずることに安心する人々」
ということですが、民主主によってもたらされた大衆の個人としての資質と、群衆として顔の見えない
集団の総体の狭間ににあって、ヨーロッパに最大の危機に見舞われたとする眼差しは、その後フロムの
考察として「自由からの逃走」へと受け継がれました。フロムの考察にナチズムの台頭と切り離して
理解することには無理がありますね。「自由からの逃走」の第六章ではナチズムの心理を分析してますが、
第五章で考察された逃走のメカニズムは、ナチズムによる権威主義と不可分な関係にあります。
フロムは逃走のメカニズムを明らかにした上で、ヒトラーの政権奪取との関係性を考察し
自由からの逃走に囚われることなく自由の追求における必然性を説いたのではないでしょうか。
それはアーレントがナチズムに遭遇して書き起こした「全体主義の起源」と対を成す成果といって
良いのではないでしょうか。





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