- 靖国の背景を考える★125
807 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 14:49:55.45 ID:bDio2mDZ -
もっとも中国共産党が危険な状態に陥ったのは、数千人規模まで兵力が現象した1934〜36の長征の時期だろう。 よって日本が満州を把握し、関東軍が常駐した事が共産主義の拡大した切っ掛けと捉えるのはオカシイ。 こうした危機的な状況の中で、蒋介石政権と日本が対立することによって中共は救われ、戦争によって疲弊した状況の中では、 弱者には心地よく聞こえた共産主義思想が、国民党内や支配地域で浸透、日本が敗戦したのちは、 強大な勢力として再帰を果たし、内戦を通じて政権を把握した。 つまり、壊滅寸前だった中共だったが、日本は蒋介石政権と対立することによって、 ウイルスのような存在を国民政権の中に取り込む事に導いたと言えるが、 そうしたウイルスが広がりを見せた直接の原因は、 蒋介石政権の軟弱さと共産主義が持つ心地が良い言葉の魔力にあったと言えるだろう。
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808 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 15:06:25.04 ID:bDio2mDZ -
毛沢東は中華人民共和国として、巨大な国家をまとめ上げた以上、帰納的に考えるなら、 知力に長けてたと考えることは、決して違和感があることではないが、 しかし、そうした知力を持つ人間が、権力欲に取り付かれ、国民をなんとも思わないような性格では最悪だろう。 よって知力が高かった事の背景にあるのは、神が天から落ちた、 如何に悪魔ような存在であったかを示すようなものだ。
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820 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 19:50:55.64 ID:bDio2mDZ -
>>813 だから国民党政権内に、共産党のウイルスを引き入れた事には、日本が間接的に影響を与えてることは認めてるでしょ。 しかし、中共が影響力を拡大したのは、国共合作以後に国民党政権内でも布教活動が容易なった以後であり、 満州に関東軍常駐したタイミングじゃない。
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834 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 20:50:23.89 ID:bDio2mDZ - >>832
中共がもっとも危機に瀕したのは、1934年〜1936年頃。 関東軍は満州に常駐するになったは、1931年頃。 つまり、関東軍が満州に常駐した以後は、国共合作に至るまで中共は衰退の一途。 勢力を立て直すことができたのは、抗日思想で結ばれた国共合作によって、共産党が合法化され、 国民党政権内でも、布教活動が容易になった以降であり、関東軍が満州に常駐したタイミングで、 それが実現した訳ではない。
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837 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 21:03:39.00 ID:bDio2mDZ - >>836
中共が中国で勢力を伸ばす切っ掛けになったのは、国共合作による共産主義の合法化によって、 布教活動が容易になったこと。 そうした背景には、日中戦争が拡大の様相を見せることになった事にある。 満州に関東軍の常駐したことが、直接的な理由じゃない。
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842 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 21:33:19.12 ID:bDio2mDZ -
満州事変以後に、抗日運動が大きくなったのは事実だけど、歴史が示すとおり、 国民党と共産党が歩み寄る程の影響力がないどころか、むしろ共産党は壊滅寸前までに追い込まれた。 その転換点を作ったのは、日中戦争の拡大による国共合作の成立によって、共産党が合法化され、布教活動が容易になったこと。 つまり、満州に関東軍が常駐したことは、共産勢力が拡大する条件面で、十分条件とは言えるような物ではなかった。 満州事変とは関係性を有する部分が多分に占めるものの、その後に起きた出来事を含めた積み重ねの上に、 共産党の勢力拡大が実現した。
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846 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 21:48:16.99 ID:bDio2mDZ -
>>845 そんな事を言い出したら、ブロック経済にならなかったら、大恐慌が起きなかったら、第一次世界大戦がおきなったら、、、、 いくらでも共産勢力が拡大した理由を見出すことができる。 大切なのは、どの時点で共産勢力が拡大する為に必要な条件が十分に満たす事になったかにあるのではないでしょうか。 そうして視点で考えれば、日中戦争の拡大と国共合作が成立した時期にあると言えるのでは。
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849 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 21:51:16.10 ID:bDio2mDZ - >>845 補足
>十分条件の1つでもいえます。 ちなみに十分条件とは、その条件だけで成り立つことを意味します。 上記に書いたように、満州事変が起きただけでは、中共の拡大は適わなかった。 つまり、十分条件とは言えないということは、わかると思います。
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852 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 22:02:27.06 ID:bDio2mDZ -
>>850 >張学良やその軍を追い出した時点で十分条件を整えたと言えますよ。 歴史が示すとおり、それだけは十分条件とはいえなかった。 仮に十分条件だとしたら、それこそ直接的な意味で、 満州事変と中共勢力の拡大を結び付けてることになるじゃないですか?
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856 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 22:08:11.58 ID:bDio2mDZ -
>>854 歴史が示してるのは、満州に関東軍が常駐しただけでは、中共が勢力拡大することにはつながらなかった。
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858 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 22:10:20.16 ID:bDio2mDZ -
>>855 満州国と内地との経済関係に視点が及ばない人間に何言われてもなんとも思わない。
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860 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 22:11:46.47 ID:bDio2mDZ -
>>857 国共合作を条件として織り込んでいる時点で、満州だけでは十分条件ではないことはわかるでしょ。
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863 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 22:14:34.90 ID:bDio2mDZ -
もういいや。
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865 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 22:15:33.72 ID:bDio2mDZ -
>>862 いつものように人の文章を読まない人間に言われても、なんとも思わない。
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867 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 22:23:06.92 ID:bDio2mDZ -
内地との経済発展に寄与したことを含め、戦後欧米から産業技術を容易にキャッチアップした基盤をつくったと主張してるのに、 俺は満州国という区切りだけで主張してるだ!とか、意味不明な言い掛かりがカワイイと名無しからされたのは覚えてるな。
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881 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 22:38:49.56 ID:bDio2mDZ -
>>876 歴史的に欧米は国家同士の戦争に慣れてるし、民衆もそうした歴史的経験を数多く積み重ねてる。 一方で日本は、平和な鎖国時代を過ごし、明治維新以後は数回の対外戦争に経験し連勝し続けた。 そうした偏った経験が、国民の過信を生んだ部分はあると思うな。
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886 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 22:49:54.86 ID:bDio2mDZ -
ヘーゲル流の大いなる物語の信仰者だからじゃないでしょうか。
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892 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 22:57:41.07 ID:bDio2mDZ -
リーマンショック後の時点、現在の株価暴落が確定済みであることが解っていたら、 売りから入って大儲けだな。 まあー、経済という限られて側面でも、それは難しい。
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894 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 23:02:34.26 ID:bDio2mDZ -
もうねー、嘘の連投には付き合えないよ。 酷いね。
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905 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 23:22:19.99 ID:bDio2mDZ -
明日は靖国に参拝に行きます。
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931 :名無しさん@3周年[sage]:2011/08/14(日) 23:59:14.05 ID:bDio2mDZ -
人間という人格というのは、様々な社会の中でそれが承認されて心が満たされる。 当時であれば、国家や家族、あるいは職場、友達関係といった社会がそれを担ってきた。 時代は移り変わり、人によっては容認できないような人格が部分的に見えるかもしれない。 しかし、人間とはそうした単一的な人格だけなく、今でも共感できる部分は残されると思う人は多いのではないだろうか。 家族に対する愛情や、平和に対する思い、当時の人間だって、決して忘れてなかった部分だと思う。 俺の場合、それに国家の為という部分が加わる事になるのだが、 もし生きていれば、その人の心が満たされるように、戦争で死んだ多くの人を含めて、 明日は敬意を払いたいと思う。
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