- ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの?
463 :名無しさん@3周年[]:2011/05/24(火) 11:12:55.30 ID:FYmIegBO - 三島由紀夫は勤勉な作家だった。たとえばそれは、敗戦後の日本が焼け跡から回復して高度成長を実現し、
「東洋の奇跡」と呼ばれる戦後復興をなしとげたことを思わせるようなきまじめでひたむきな勤勉さだった。 (中略)戦後日本の復興期にそのまま重なっている。その意味で三島由紀夫は、作品に見られる反戦後的な 美学や日本の欺瞞に対する批判的な視線にもかかわらず、きわめて戦後日本的な作家である。 そのことにまつわる伝説も多い。 なにより作品を書く時間を大切にしていた三島由紀夫は、知人との会食や宴席などでどんなにお酒が入って 楽しく談笑していたとしても、かならず夜11時までには切りあげて帰宅し、執筆の時間をつくったという。 田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より
|
- ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの?
464 :名無しさん@3周年[]:2011/05/24(火) 11:13:20.60 ID:FYmIegBO - 私小説作家のように怠惰であることをひそかに誇ったり、サラリーマン社会のあわただしさに反感をもったり
している日本の文壇の雰囲気から見て、その態度はひときわ異彩を放っている。昼間は官僚として軍医総監という 激務をつとめながら深夜に執筆していた明治期の森鴎外のように、敗戦後の日本に生きた三島由紀夫はおそらく 自分が原稿用紙に記す一字一字が戦後日本をつくりあげていくという使命感をもっていたのである。(中略) そして敗戦から60年以上がすぎて、戦後日本のあり方が風化しつつある21世紀において、次に新しい読み方を 待っているのは三島由紀夫の勤勉さが惜しげもなく注がれた純文学としての短編や長編ではなく、むしろ その余白に生まれて気軽に書かれた娯楽小説ではないだろうか。たとえば1967年に刊行された『夜会服』も、 その一冊である。 田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より
|
- ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの?
465 :名無しさん@3周年[]:2011/05/24(火) 11:13:43.77 ID:FYmIegBO - (中略)
「俊男」という、どこか虚無的でありながら近代社会における万能の力をもっているように見える男性の魅力は、 日本の近代化の矛盾を体現するかたちで造形されているところにある。(中略) こうした「俊男」の造形に、三島由紀夫の自己イメージが投影されているのは間違いないだろう。(中略) あるいは「俊男」を描きながら、三島由紀夫は戦後日本という「夜会服」の世界から出ることができず、本音を 隠して建前をなぞるかのように生きざるをえない自らの存在の悲哀を深く感じていたかもしれない。 注意深く読めば、そうした現実的すぎる悲哀を和らげる場面が『夜会服』にいくつかあることに気づく。 一つは日本が模倣しなければならないはずのヨーロッパやアメリカの人々が、醜悪で滑稽なものとして描かれて いることである。(中略)日本人が日本語で読むかぎりは気がつきにくいが、世界性をもつ作品ではありえない 書き方だろう。 田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より
|
- ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの?
466 :名無しさん@3周年[]:2011/05/24(火) 11:14:13.52 ID:FYmIegBO - もう一つは日本の天皇家につらなる「宮様」が出てくる場面である。(中略)「俊男」の本音を聞き届けてくれる
「宮様」の存在である。そこにはおそらく、戦前の二・二六事件と敗戦後の人間宣言によって昭和天皇に対して 生涯屈折した感情を抱きつづけた三島由紀夫が夢想した、戦前から戦後へと変わらずにつづく近代化という建前を 強いられる世界において日本人の本音を守ってくれる天皇という、理想的なイメージが投影されている。 こうして本音をさらけ出した心の避難場所を愛すべき娯楽小説のなかにつくりながら、現実に三島由紀夫が 辿りついたのは1970年の割腹自殺だった。「俊男」とその孤独を理解する「絢子」の「愛」が成就される 『夜会服』の甘すぎる末尾がわたしたちに突きつけるのは、そうしてひとりのすぐれた作家を自死させてしまった 日本の現実に欠けていたものはなにかという問いである。 田中和生「愛すべき三島由紀夫の避難場所」より
|