- 天皇制廃止・共和制樹立 1
990 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 00:38:49.19 ID:9b5DQYTd -
>>985 フランス革命でも、後日大虐殺されることなる王党派に向き合うために、 混乱したい政局を立て直すために、全体主義ともよべるジャコバン派の独裁が始まった。 社会契約説を信じる人間は、基本的には偏狭かつ全体主義者であると言ってるようなものだ。
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- 天皇制廃止pt150
13 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 16:52:36.89 ID:9b5DQYTd -
>>11 皇国市国になっても、日本国民が享受してるような基本的人権が約束されてるものではなく、 宗教色が強い国を想定してるなら、それはなお更だと言える。 また即位と退位については、憲法改正を伴う必要も無く、皇室典範の改正で十分に可能である。 あえて皇国市国をつくる必要性もないにも係わらず、このような大げさな事が理由になってる時点で、 その目的は体良く日本から天皇を追い出したいと考えてると思われても仕方ないだろう。
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14 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 16:55:06.27 ID:9b5DQYTd -
>>4 <皇室が得られるメリット> について疑問 --------------------------------------------------------------------------------- ・皇室の独立性が守られる(日本国憲法による各種の干渉を排除できる) 現在の皇室は、大国である日本の国家主権によって、対外的な存在から干渉されることもなく保護され、 対内的には、憲法によって規定された地位と過去の歴史的経緯から、国民の強い監視のもとに、 概ね政府指導層が天皇に対し干渉することを防いでる。 こうした状況が無くなるとことは、むしろ現在以上に各種の干渉を招く機会を与えるものである。 よって排除できるというよりも、むしろ干渉を招きやすい状況を生む。 ・皇位継承が容易になる(側室制度など考えられる可能性を実現できる) 経済的な基盤が日本国民による寄付によって支えられることを想定しているなら、 別の国であっても、日本国民が理解できる制度の範疇でしか実現することは不可能。 多少容易になる”かも”と言える程度であって、殊更のメリットと言える程の状況が改善できるような物ではない。 ・独立した経済的自立により干渉されない 鎖国制度などありえないし、バチカンのような国であっても、その収入は200億程度であり、 広場の警備を含め、様々な形でイタリアからの特別待遇を享受して成り立ってる事を考えれば、 独立した経済的自立などはないし干渉の度合いはむしろ高まる。 ・皇室支持者の望む皇室に近づく(日本国憲法条の背反命題の解消) 現在の国民の多くは、現象徴天皇制を支持しており、概ね言えることは現状維持であって、 天皇を日本から追い出すことじゃない。
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16 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 16:57:25.04 ID:9b5DQYTd -
>>4 <日本国が得られるメリット> の疑問点 -------------------------------------------------------------------------------- ・憲法上の矛盾が解消される(人権上唯一の例外の削除) 矛盾とは、矛盾なき姿に対しあるべき論を求めた結果だろう。 そのような、あるべき論的な考え方というものは、国民の中で言えば、机上の空論と揶揄されがちな、 憲法学者の考えを反映したものにすぎない。 一方で、そうした憲法学者が主張する上での根本原理は、政治哲学の中では信じられてる状況ではない。 そこに真理がある訳でも無いことには、注意を向ける必要があるし、 日本国のメリットではなく、国民の中で米粒のような存在である、特定の人間が満足を得る為のメリットだといえる。 ・皇室維持に伴う各種の問題から解放(政教分離、特権的地位など) 天皇が皇室ついて、どのように考えてるかは、詳細において不明だが、 左翼的な考えをもつ人間が援用する(>679(天皇制廃止・共和制樹立1))に従えば、 概ね天皇は現在における皇室のあり方に不満を持ってる訳ではないことが伺える。 また政教分離に関しては、カワイイ自身が認めるように、政府が土地を割譲し、皇室に譲渡するには、 政教分離原則である、憲法89条の改正が必要。憲法という規範を考える場合、 政教分離原則の枠組みは、蔑ろにされることに注意を払う必要があるだろう。
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17 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 16:59:26.08 ID:9b5DQYTd - <続き>
・首都の一等地が開放されるため経済効果が見込める 経済とは国民にとって関心事項と呼べるが、経済的な合理性によってのみ、 判断される訳ではない。しかし、現在はそのような国民は皆無である。 廃止の根拠としては、説得力があるとは言えない。 ・官僚や政府による皇室の悪用を排除できる 上記にも似たような事を書いたが、 例えば、日本の政治家や官僚がアメリカの発言を援用しながら、自分の主張を押し通す場合もある。 国家の行動原理を考えるとき、このようなシュタインモデルといった物が積極的に理解されてる。 日本という枠外に、天皇を追い出しても、その悪用を排除できるわけではない。 むしろ、容易になると言っても良いくらいだ。 ・右翼による言論へのテロ活動が回避できる(右翼は皇室市国へGO) 言論へのテロ活動の意味がよくわらないが、現在の身辺警護の体制は、 お布施だけで維持できるような額では済まされると思わない。 バチカンであっても、その収入は200億円。 国としての体裁を維持できるか自体に疑問が残ると言わざる得ない。
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21 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 17:13:49.89 ID:9b5DQYTd -
>>18 天皇が伝統的な宗教的な物に関心がないなら、なお更、皇国市国といったものにメリットがないと言える。 また、即位と退位の自由がある以上、論理的に不就任の自由ももちろん必要だろう。 継承者は、たった一人という状況ではないが、最悪の事態は、もちろん誰もが就任しないことも考えられる。 その場合は、摂政を置いて、国民が制度の是非について考える時期にあると俺は思う。 そのような楽観論など、多数の国民は認めないとすなら、そもそも論として、国民は天皇は日本から手放すこともなく、 皇国市国案自体も、空虚な物である事を意味することになる。
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23 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 17:18:54.16 ID:9b5DQYTd -
>>11 >>14 >>16 で疑問点を挙げたが、皇国市国案といったのものは、既に矛盾の体に属するような主張である。
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24 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 17:51:04.99 ID:9b5DQYTd -
皇族が抱える伝統的な立場と、政教分離原則といったものは整合性については、 ヨーロッパ並みに緩和すれば良いじゃないのか? フランスのよう厳格型であっても、地方によってカトリック優遇がみとめられる。 伊勢志摩をそのような特区にして、問題がありそうな行事について、そこで執り行うというのも手だろう。 人権の問題は、即死と退位の自由を与えれば、制約を受け入れるどうかは、当人の判断に託すことになる。 もちろん、主体的な判断が出来るように、皇族から離脱する場合は、 皇族年金等の手当てを充実させる必要性はあるかもしれない。 なにも様々な問題を解決する上で、日本から追い出すことしか出来ない訳じゃない。 大多数の国民支持してる、象徴天皇制も無くさずも済む。
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26 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 18:00:53.74 ID:9b5DQYTd - × 即死と退位の自由を与えれば ○ 即位と退位の自由
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42 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 21:08:21.46 ID:9b5DQYTd - >>39 ニーチェなんて、全然しらないじゃん。
>ニーチェが語ったルサマンチン〜否定していたキリスト狂信者〜暴力を持ち出す〜強者が強者に勝利できる 武力や知力で勝負にならな場合、道徳的尺度を持ち込み、相手に対し心理的な優位になって、 溜飲を下げようとする態度を抱えてるような存在を、 ニーチェは古代のキリスト教信者の中に見てとり、それをルサンチマンと呼び否定した。 自分の中で自己正当化するだけで、体育座りしてるだけ虐められるだけの負け犬のような存在ことを指してるだよ。 強者としての立場として、勝利を確信してるような強い人間じゃない。 どちからいえば、社会の多数を占める保守に対し、2chでぐずってるだけの左翼のような人間のことは否定したの。 >「ニヒリズム」 ニヒリズムとは永遠が繰り返され、特段の意味のない世界にただ呆然と立ちすくむことになってしまった人間を指してる。 戦争で死んでいた英霊のように、命を賭けてまで日本を取り巻く状況を変えようと生きてきたような人間に対し、 向けられるような言葉じゃない。 それからニーチェが理想としと生き方は「超人」と呼ばれてる。 神が死んだ後の意味が不確な社会であっても、新しい事を成し遂げる努力をし、絶え間得ない変化の中に身を置き続けるような 人間を理想像として描いていた。 キリスト教のような絵空事だと自覚しても、なおキリスト教の価値観が真実であるように、 体育座りをすることなく、努力して探し求めるる姿に共感を覚えてるだよ。 馬鹿!
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45 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 21:35:07.03 ID:9b5DQYTd -
それからニーチェが理想とするような人間像は、永遠回帰の社会であっても、 常に自分を乗り越える変化をすることを厭わない人間。 天皇の特権をなくして、引きずり降ろせとか主張し、他人を嫉むことで満足するのではなく、 永遠回帰の中で、根本を疑えば、意味の無いものであっても、 自分の事をよく見つめて乗り越え続ける努力を死ぬまでやってるような人間に共感を覚えてるだよ。
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50 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 22:09:53.43 ID:9b5DQYTd - >>48
押し付けることができるほど強者であれば、ルサンチマンなんて言わないから。 そうした事ともできずに、自己正当化するだけ、社会の多数である保守の前に、 手も足もでないような左翼のような存在ことを言うだよ。
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51 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 22:12:25.60 ID:9b5DQYTd -
現代思想的には、理性の所在というのものは、普遍的に人間の中にある精神の中で見て取ってるのではなく、 法律や歴史伝統(地域によって宗教も含まれる)によって構成されてる社会に住むの他人の眼差しによって、 営まれる生政治によって人間を矯正する事の中に認識される。 故に、理性というのは、時代や地域によって異なるものだし、そこから導き出せる考えは、 民主主義や人権といったものでも、社会性の違いを考慮することなく、むやみに押し付けて良いものでもないし、 時代を超えて、同じように考えられるようなものじゃない。 確かに、戦後の社会からみれば、戦前の社会は理性に欠けたものに映るかもしれないものもあるだろう。 不敬罪といった考え方は、その一つだと言えるかもしれないが、当時の社会はそれを守ることが、 理性の所在だと言える状況があったかもしれないということだ。
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53 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 22:22:40.64 ID:9b5DQYTd -
ニーチェがルサンチマンと呼んで、否定したのは、そうした圧殺できるような立場にあるような人間じゃない。
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56 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 22:37:09.23 ID:9b5DQYTd - >>51 補足
それから補足するなら、以前にも述べたように、日本の伝統的在り方というのは 俺からすれば、現在から過去に向けた眼差しに映った風景の感傷だ。 但し、風景の中には歴史的ビックイベントのようなものは際立って印象付けられるし、 ぼやけてでしか見えないような古代の情景よりも、 戦後の社会の方が際立ってハッキリ見える中で、感傷を持たざる得ない。 日本社会の中で人権といった考え方は、歴史の中で非常に短い。 戦後になって、積極的に理解されるようになった考え方だ。 だからといって、上記の理由から、現在の日本の伝統的なあり方として、 人権に対するの考え方が、まったくないとは思っていない。 つまり、それは社会契約説的なアプローチではなく、 歴史伝統といった公共性からアプローチから、まったく否定する立場ではないということだ。 ----------- 追伸: ID:y5ULgB+zへ 馬鹿をのろしてなさい。
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58 :名無しさん@3周年[sage]:2011/04/07(木) 22:42:36.82 ID:9b5DQYTd -
ほんと、言ってることが貧弱ですね。
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