- ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの?
315 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 11:27:38.03 ID:PQezcmRJ - (中略)日本は、他の諸文明が宗教によって「人間の条件」をこえる超越軸を求めてきたときに、ただひとり、
武士道によってそれを求めてきた点において、たしかにユニークだったのである。ここのあたりの実相を もっとも適格に見据えていた人ありとすれば、それが、日本においては三島由紀夫その人であったと言わなければ ならない。(中略) 「一つの墓をも寺をも建てえなかったわれわれの文明……」という、マルローの議会演説中の言葉が、さながら 応答のように、静かに、同時にここでわが胸によみがえらずにはいない。「日本人の死の衝動」と言ったとき、 期せずして三島は、日本のみならず、《彼岸》なき現代文明の運命そのものについて語っていたからである。 「ル・カ・ミシマ」をヨーロッパが、政治に始まり人間に終る、ないし日本に始まり西欧に終る文明の問題として 受けとった理由はここにあるといえるであろう。無理もあるまい。文明の没落の意識において、彼らはわれわれに 半世紀余も先んじた地点に立っているのだ。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
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316 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 11:28:04.95 ID:PQezcmRJ - そのようなヨーロッパ的反応の興味ぶかい一例を示そう。巣鴨教誨師として東条英機以下「A級戦犯」七士の
処刑に立ち会った花山信勝師に、そのかけがえのない体験を記録した『平和の発見』なる名著がある。同書の 見事なフランス語版ならびにイタリア語版の翻訳者であるピエール・パスカル氏なる人物が、われわれにとって まことに胸打つばかりの反応を示しているのである。パスカル氏は、一九四九年、『平和の発見』が日本で 刊行された年に、いちはやくこれを入手し、かつ翻訳していたという。しかし、その後二十年間というもの、 訳稿を筐底に秘めておかざるをえなかった。〈過去百年にもわたる進歩主義者たちの放埒のただなかにあっては〉 これほどの本を出版したところで、ただ無理解をうけるのみ、と判断したからである。ところが、三島事件を 聞いてパスカル氏は愕然として目覚めた。そして、時こそ至れと、感嘆すべき克明な注解と研究を付して堂々の 訳書刊行にいたったのであった。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
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317 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 11:28:37.57 ID:PQezcmRJ - およそ日本では考え得ざるほどの、自由かつ雄弁なる訳書の体裁であって、じつに内容は、東京裁判に始まって
三島礼讃に終っているのであった! 本文そのものは「東京裁判」にちがいないが、付録の一つになんと 「ユキオ・ミシマの壮絶無比の選択」なる一文が添えられ、さらに巻末には訳者による手向けの歌まで加えられて いるのである。「一九七〇年十一月二十六日、日本の宮中のお歌所の伝統にならいて詠める」と詞書きして、 フランス語による「俳句十二句ならびに短歌三首」が披露されているのだ。題して「ミシマ・ユキオの墓」という。 その情熱、炯眼、大胆に、ほとほと私は感ぜずにはいられなかった。なにより驚いたことは、東京裁判から 三島決起にいたる因縁の糸を見事に読みとき、これを手繰りよせたことであった。日本人が行なってしかるべき ことを、この未知のフランス人がやってのけたのである。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
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318 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 11:29:02.29 ID:PQezcmRJ - (中略)これだけの炯眼ぶりを氏が発揮したことの裏には、「東京裁判」そのものにたいするその仮借なき
批評眼があった。いかにしてここから三島礼讃の挙にまで行きついたかを知るために、その主張するところを 瞥見してみよう。 〈…「東京裁判」は、実際には、何人かの被告を見せしめに裁き、全員、愛国心のゆえに有罪なりと宣言したに すぎない。(中略)民主主義思想の愚鈍ぶりは、東条英機をして「ファッシスト的」独裁者たらしめた。これは 歴史的真実に反するのみならず、当時の君主制日本の神制政治上の概念にも相反するものである。諸政党解党に つぐ大政翼賛会の唯一党結成は近衛公の意志によるものであって、東条英機将軍は、公に代って帝国政府の 総帥となるに及び、連合国にたいする政府の決断躊躇をすべて引きつぐ結果となったのである。連合国側こそ、 「経済制裁」に名をかりて、宣戦布告もなく日本を窒息死せしめんとしていた事実を忘れてはならない……〉 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
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319 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 11:30:01.62 ID:PQezcmRJ - 〈…捕虜収容所の日本人指揮官のなかには、無数の捕虜にたいする扱いが穏当でなかった者も、それは多々
あったであろう。しかし、「捕虜虐待」で絞首刑にされた人々の運命たるや、シベリアへの「死の行進」や カティンの大虐殺をやってのけた連中、またケニヤ・エジプト・北アフリカ・インドなどの収容所の警護者どもの 思いもおよばないようなものだったのだ。 …リチャード・ストリーがその著『近代日本史』のなかで記しているごとく、日露戦争時において、ロシア兵の 捕虜ならびに支那の民間人にたいする日本軍のふるまいは「世界中の尊敬と感嘆を勝ちえた」事実を思うがよい。 でなくして、旅順開城ののち、露軍司令官ステッセルは、なぜ乃木将軍にその白馬を献じようと欲したであろうか?〉 (中略)一冊の極東軍事裁判記録も刊行されなかったフランス、いやヨーロッパにあって、このような発言は 貴重と言わねばならない。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
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- ■■■三島由紀夫の檄文■■■
224 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 19:13:48.04 ID:PQezcmRJ - 左翼のいふ、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の
変化によつて、多くの韓国人をかかへてゐるが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、日本人が必ずしも 歓迎しないにもかかはらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすやうな 北朝鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。 彼らはすでに、人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなつてゐる。そして 彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかつて、それを革命に利用しようとするほか考へない。 たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、 不幸な人たちに襲ひかかり、たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、 その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていつてしまふ。 三島由紀夫「反革命宣言」より
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- ■■■三島由紀夫の檄文■■■
225 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 19:14:16.05 ID:PQezcmRJ - 日本の社会問題はかつてこのやうではなかつた。戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいはないが、
純粋なヒューマニズムの動機にかられ、疎外者に対する同情と、正義感とによつて、左にあれ、右にあれ、 一種の社会改革といふ救済の方法を考へたのであつた。 しかし、戦後の革命はそのやうな道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、 偽善にすりかへてしまつた。われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。革命勢力から その道義性と、ヒューマニズムの高さを失はせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである。 われわれは疎外を固執し、少数者集団の権利を固執するものである。それのみが、革命勢力に対して反革命の 立場に立ち得るし、彼らの多数を頼んだ集団行動の倫理的矛盾に対して、最も強い、先鋭な敵手たり得るからである。 三島由紀夫「反革命宣言」より
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- ■■■三島由紀夫の檄文■■■
226 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 19:14:47.30 ID:PQezcmRJ - 人は疎外からみづから逃れたいといふ要求を持つてゐる。その要求の最もわかりやすいスローガンは「自由」で
あるが、自由を与へられると、エーリッヒ・フロムではないが、再び自由から逃避しようとし、逃避のメカニズムは オートマティックに進行するのである。そして、逃避のメカニズムがオートマティックに進行するときに、 疎外された少数者はいつしか多数の集団者となり、多数の集団者はマジョリティとなり権力を求め、遂には 少数者を蹂躙し、自分のよつてもつて立つところの存在理由を自己否定せざるを得なくなるのである。 その革命の経過こそ、われわれが最も見張らなければならぬものであり、われわれに彼らの原点の感情に対する 安価な同情を許さないところのものである。 反革命は、革命行動の単なる防止ではない。反革命は革命に対して、ただ単なる暴力否定をもつて立ち向ふもの ではない。なぜなら、暴力否定は容易に国家否定に傾くからである。 三島由紀夫「反革命宣言」より
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- ■■■三島由紀夫の檄文■■■
227 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 19:15:28.66 ID:PQezcmRJ - 反戦平和のスローガンが、ただちに暴力行動を意味するといふことを、三派全学連は新宿動乱で公衆の前に証明し、
それによつて公衆に、反戦平和といふ言葉の欺瞞を白日のもとにさらけ出すといふ大きな貢献を残した。 しかし、暴力は暴力自体が悪でもなく、善なのでもない。それは暴力を規定する見地によつて善にもなり、 悪にもなるのである。彼らは国家権力を暴力装置と規定し、機動隊を階級敵と規定し、彼らの規定によつて 権力自体は、すべて膨大な、革命を抑圧してゐる暴力機構と考へられる。そして、いはゆる無意識な、無関心な 一般大衆の目にとつては、三派全学連の無秩序な暴力だけが、あるひは暴力団の暴力だけが暴力とうつり、 自分たちを守りに出てゐる武装集団の自衛隊や警察は暴力とうつらないやうな心理構造を持つてゐると説明される。 (中略)そして暴力否定が終局的に革命を支持するものであることを最もよく知つてゐるのは革命勢力、特に 共産党なのである。共産党は最後の革命に手段としての暴力を十分容認するが、その暴力が民衆の支持を得るまでは 差し控へる、といふことを知つてゐる。 三島由紀夫「反革命宣言」より
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- ■■■三島由紀夫の檄文■■■
228 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 19:15:55.48 ID:PQezcmRJ - われわれはもし、暴力といふものを本質的、原理的に否定するときには、これに立ち向ふことは決してできない。
大学問題はあたかも革命全体のミニアチュアであるが、暴力に対するに理性をもつてした大学教授連の考へは 十九世紀的迷蒙に侵されてゐる。暴力と素手で立ち向ふことができないのは理性の特質であり、そしてまた 理性を何らかの後楯にしない時は、自己の正当性をみづから確認できないといふことは暴力の特質である。 かくて、暴力と理性とは、お互ひにその正当性を奪ひ合ふ段階においてこそ同格であるが、暴力は一つの 理性的思想を背後に持つてゐると主張することによつて、すなはち理性だけよりも強く、相手を国家権力なる 「暴力」とつながつてゐるといふ論理へ追ひ込むことによつて、むりやり、自分の土俵へ相手を引きずり込む 戦術に長けてゐる。 暴力否定が国家否定につながることは、実に見やすい論理である。 三島由紀夫「反革命宣言」より
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320 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 23:53:46.72 ID:PQezcmRJ - (中略)パスカル氏はいうのだ。
〈正義の審判の名のもとに《不正義》によって刑死せしめられた人々の想い出が、いまや、裁いた者たちの 想い出よりも日一日と荘厳となっていく。裁いた者たちのほうが、早くも使い捨てという忘却の闇へと沈んで ゆくのだ…(中略) キリスト再臨を待つまでもなく、正義はすでになされたのだ。…あの日、一九七〇年十一月二十五日、… 《夷狄の君臨》にたいして相変らず不感症のまま日本が、黙々として世界第三位の産業大国となりつつあったとき、 ユキオ・ミシマは、その儀式的死によって、みずからの祖国と世界とにたいして喚起したのである。この世には まだ精神の一種族が存し、生者と死者のあいだの千古脈々たる契りが、いまなお不朽不敗を誇りうるということを。 おのれの存在を擲ち、祖国に殉ずることによって、もって護国の鬼 le remords de cette patrie と化さんと、 生の易きに就くよりも、かかる魂に帰一することのほうを、ミシマは望んだのであった。…〉 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
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321 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 23:54:22.72 ID:PQezcmRJ - 〈個人的絶望によってではなく超越的《愛他主義(アルトルイズム)》によって、かつ、愛のかなたの愛によって
決行されたユキオ・ミシマの聖なる自殺は、《共和国擁護》を叫ぶ古蛙どもの、いつ果てるとも知れぬ金切声の 大合唱を西欧世界に喚起するにいたった……畢竟、それらは、遠い昔にとっくに地に堕ちた名誉なるものに たいする、一種の畏怖心にすぎない。…まるで、もうちょっとで、あちこちに、《反ファッシズム監視委員会》の どさ廻り小屋でも造られかねない勢いだった。〉 (中略)一息入れてパスカル氏は、またも筆を取りなおす。〈このユキオ・ミシマが自己犠牲をあえてした場所が、 「愛国心の囚人」にたいして米軍があえて有罪宣告を下した旧日本帝国大本営の跡地、市ヶ谷台上であったのだ。〉と。 (中略)ミシマに触れたヨーロッパならびに海外の無数の記事のなかで、ずばぬけて出色の出来であったとして 同氏は、一九七〇年十二月一日付のローマ紙「イル・テンポ」に掲載された「東京のハラキリ」なる一文を挙げている。 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
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- ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの?
322 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 23:55:22.22 ID:PQezcmRJ - 尊敬すべき洞察力をもって、その執筆者マギナルド・バヴィエラ氏は書いているのだ。しかも、三島自刃の
直接目的――改憲と防衛の問題にまで突っ込んで。…まず、アメリカの対日政策の変化が語られる。 〈…アメリカ人は、自分たちが精を出した毒草除去の作業が完全すぎたという結果を、恐怖心をもって視つめてきた。 (中略)(ドイツ、日本、イタリア)の野心をあまりにも徹底して摘みとりすぎたために、これら蛇蝎のごとき 三国が歴史のつんぼ桟敷に追いやられて商人国家へと変貌していくさまを、「アンクル・トム」はただ呆然と 見守るほかはなかった……われわれヨーロッパ人が、自国侵略の危険をはらんだロシア赤軍用のトラックを 競争さわぎで製造しつつあるあいだに、もはやどこからも侵略の恐れなしと信じきった日本は、アジアの警備役は アメリカにまかせっぱなしで――日本株式会社は二度と軍事大国になるつもりはないと公言しつづけてきたのである。〉 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
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323 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 23:56:36.71 ID:PQezcmRJ - 〈なんとかして日本人にもういちど尚武の気概と世界政治の巨視観を持ってもらいたいと、アメリカ人の側で
躍起になってきたのも、むべなるかなというべきである。(中略)全アジアの骨組がひっくりかえってしまったいま、 太平洋の防人の役は徐々に日本に肩代りしてもらいたいというのが、彼らの本音にほかならないからである。 (中略)(日本の)首相は、にんまりと、憲法第九条があるじゃありませんかと応じたものだった。(中略) 恒久武装放棄を声高に誓わされた、あの屈辱の憲法である。(中略)「残酷な戦争をもって日本を敗北せしめたあと、 その憲法をわれわれに押しつけたのは、あなたがたのほうではありませんか。こんどは、こっちのほうでそれを 大事にする番ですよ…」かくて日本は、豪華けんらんとしてかつ陰鬱なるヴァカンスを享受しつづける安楽へと 兎跳びに跳びあがり、富裕にして怡悦なき一億の日本人は、熱狂の空虚を、国家的目標と集団的希望の欠如を、 時とともにはっきりと認識するにいたった。〉 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
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- ネトウヨってホモ右翼の三島由紀夫を崇拝してるの?
324 :名無しさん@3周年[]:2011/02/28(月) 23:57:13.52 ID:PQezcmRJ - 〈日本――だが、誰がその真実の姿を知ろう? (中略)
再度日本を訪れたおりに、私自身、ここにはきっと秘密の国が隠れているにちがいないとの直感を持った。 それは、たまたま私が、防衛庁の位置する市ヶ谷の丘を昇っているときのことだった。(中略)訪う人なきこの丘、 いまなお一軍が身を隠しつづける丘から、だが、一つの叫びが、いま、われわれの耳に届いたのだ。沈黙は破られた。 ヴェールは、一瞬、かなぐり捨てられた。ユキオ・ミシマ――この世界的名声の作家が、万人の面前で短刀を 自分の腹に突き立てたのだ。いまはなき特権階級(カスト)、サムライの儀式的自殺である。(中略) 祖国はもはや自分が夢みた国ならずというのでスペインのファランへ党員が自分の心臓に弾丸をぶちこむ。 盟主ロシアが共産党員としての自分の夢を打ち砕いたといってプラハの学生が火だるま自殺する。祖国日本が 非武装に甘んじ、もはや歴史舞台への回帰を放念したという理由で、一人の作家が東京で自刃して果てる。…〉 竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
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