- ■■■三島由紀夫の檄文■■■
132 :名無しさん@3周年[]:2011/02/12(土) 11:34:35 ID:PQezcmRJ - 最近東京空港で、米国務長官を襲つて未遂に終つた一青年のことが報道された。日本のあらゆる新聞がこの
青年について罵詈ざんばうを浴せ、袋叩きにし、足蹴にせんばかりの勢ひであつた。(中略) 私はテロリズムやこの青年の表白に無条件に賛成するのではない。ただあらゆる新聞が無名の一青年をこれほど 口をそろへて罵倒し、判で捺したやうな全く同じヒステリカルな反応を示したといふことに興味を持つたのである。 左派系の新聞も中立系の新聞も右派系の新聞も同時に全く同じヒステリー症状を呈した。かういふヒステリー症状は、 ふつう何かを大いそぎで隠すときの症候行為である。この怒り、この罵倒の下に、かれらは何を隠さうと したのであらうか。 日本は西欧的文明国と西欧から思はれたい一心でこの百年をすごしてきたが、この無理なポーズからは何度も ボロが出た。最大のボロは第二次世界対戦で出し切つたと考へられたが、戦後の日本は工業的先進国の列に入つて、 もうボロを出す心配はなく、外国人には外務官僚を通じて茶道や華道の平和愛好文化こそ日本文化であると 宣伝してゐればよかつた。 三島由紀夫「日本文化の深淵について」より
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- ■■■三島由紀夫の檄文■■■
133 :名無しさん@3周年[]:2011/02/12(土) 11:36:30 ID:PQezcmRJ - 昭和三十六年、私がパリにゐたとき、たまたま日本で浅沼稲次郎の暗殺事件が起つた。浅沼氏は右翼の十七歳の
少年山口二矢によつて短剣で刺殺され、少年は直後獄中で自殺した。このとき丁度パリのムーラン・ルージュでは Revue Japonais といふ日本人のレビューが上演されてをり、その一景に、日本の短剣の乱闘場面があつた。 在仏日本大使館は誤解をおそれて、大あわてで、その景のカットをレビュー団に勧告したのである。 誤解をおそれる、とは、ある場合は、正解をおそれるといふことの隠蔽である。私がいつも思ひ出すのは、 今から九十年前、明治九年に起つた神風連の事件で、これは今にいたるもファナティックな非合理な事件として インテリの間に評判がわるく、外国人に知られなくない一種の恥と考へられてゐる。 約百名の元サムラヒの頑固な保守派のショービニストが起した叛乱であるが、彼らはあらゆる西洋的なものを憎み、 明治の新政府を西欧化の見本として敵視した。 三島由紀夫「日本文化の深淵について」より
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- ■■■三島由紀夫の檄文■■■
134 :名無しさん@3周年[]:2011/02/12(土) 11:37:55 ID:PQezcmRJ - 電線の下を通るときは、西洋の魔法で頭がけがれると云つて、頭上に白扇をかざして通り、あらゆる西欧化に
反抗した末、新政府が廃刀令を施行して、武士の魂である刀をとりあげるに及び、すでにその地方に配置された 西欧化された近代的日本軍隊の兵営を、百名が日本刀と槍のみで襲ひ、結果は西洋製の小銃で撃ち倒され、 敗残の同志は悉く切腹して果てたのである。 トインビーの「西欧とアジア」に、十九世紀のアジアにとつては、西欧化に屈服してこれを受け入れることによつて 西欧に対抗するか、これに反抗して亡びるか、二つの道しかなかつたと記されてゐる。正にその通りで、一つの 例外もない。日本は西欧化近代化を自ら受け入れることによつて、近代的統一国家を作つたが、その際起つた もつとも目ざましい純粋な反抗はこの神風連の乱のみであつた。他の叛乱は、もつと政治的色彩が濃厚であり、 このやうに純思想的文化的叛乱ではない。 三島由紀夫「日本文化の深淵について」より
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- ■■■三島由紀夫の檄文■■■
135 :名無しさん@3周年[]:2011/02/12(土) 11:39:55 ID:PQezcmRJ - 日本の近代化が大いに讃えられ、狡猾なほどに日本の自己革新の能力が、他の怠惰なアジア民族に比して
賞讃されるかげに、いかなる犠牲が払はれたかについて、西欧人はおそらく知ることが少ない。それについて 探究することよりも、西欧人はアジア人の魂の奥底に、何か暗い不吉なものを直感して、黄禍論を固執するはうを 選ぶだらう。しかし一民族の文化のもつとも精妙なものは、おそらくもつともおぞましいものと固く結びついて ゐるのである。エリザベス朝時代の幾多の悲劇がさうであるやうに。……日本はその足早な、無理な近代化の歩みと 共に、いつも月のやうに、その片面だけを西欧に対して示さうと努力して来たのであつた。そして日本の近代ほど、 光りと影を等分に包含した文化の全体性をいつも犠牲に供してきた時代はなかつた。私の四十年の歴史の中でも、 前半の二十年は、軍国主義の下で、不自然なピューリタニズムが文化を統制し、戦後の二十年は、平和主義の下で、 あらゆる武士的なもの、激し易い日本のスペイン風な魂が抑圧されて来たのである。 三島由紀夫「日本文化の深淵について」より
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- ■■■三島由紀夫の檄文■■■
136 :名無しさん@3周年[]:2011/02/12(土) 11:41:43 ID:PQezcmRJ - そこではいつも支配者側の偽善が大衆一般にしみ込み、抑圧されたものは何ら突破口を見出さなかつた。そして、
失はれた文化の全体性が、均衛をとりもどさうとするときには、必ず非合理な、ほとんど狂的な事件が起るのであつた。 これを人々は、火山のマグマが、割れ目から噴火するやうに、日本のナショナリズムの底流が、関歇的に 奔出するのだと見てゐる。ところが、東京空港の一青年のやうに見易い過激行動は、この言葉で片附けられるとしても、 あらゆる国際主義的仮面の下に、ナショナリズムが左右両翼から利用され、引張り凧になつてゐることは、 気づかれない。反ヴィエトナム戦争の運動は、左翼側がこのナショナリズムに最大限に訴へ、そして成功した事例で あつた。それはアナロジーとしてのナショナリズムだが、戦争がはじまるまで、日本国民のほとんどは、 ヴィエトナムがどこにあるかさへ知らなかつたのである。 三島由紀夫「日本文化の深淵について」より
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137 :名無しさん@3周年[]:2011/02/12(土) 11:44:02 ID:PQezcmRJ - ナショナリズムがかくも盛大に政治的に利用されてゐる結果、人々は、それが根本的には文化の問題であることに
気づかない。九十年前、近代的武器を装備した近代的兵営へ、日本刀だけで斬り込んだ百人のサムラヒたちは、 そのやうな無謀な行動と、当然の敗北とが、或る固有の精神の存在証明として必要だ、といふことを知つてゐた のである。これはきはめて難解な思想であるが、文化の全体性が犯されるといふ日本の近代化の中にひそむ危険の、 最初の過激な予言になつた。われわれが現在感じてゐる日本文化の危機的状況は、当時の日本人の漠とした予感の中に あつたものの、みごとな開花であり結実なのであつた。 三島由紀夫「日本文化の深淵について」より
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