- 【邪馬台国九州説】邪馬台国九州説に新たな視点 卑弥呼が統治した「クニ」考察★2 [しじみ★]
492 :名無しのひみつ[]:2020/05/23(土) 17:48:22.15 ID:z+m8DXbH - >>487
色んな説などない 書いてある通り 九州倭国と近畿日本は別の国で 邪馬台国は九州倭国の首都 奴国は邪馬台国から任命されて実際の行政をやっていた宰相 天垂らし彦(天=邪馬台国が任命して天から垂らした=降ろした彦=王)
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493 :名無しのひみつ[]:2020/05/23(土) 17:51:00.12 ID:z+m8DXbH - 隋書
>開皇二十年(600年)、倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩雞彌、遣使を王宮に詣でさせる。 これは九州倭国の奴国王のこと。天垂らし彦。 天は邪馬台国、垂らすは天が任命して地上界へ為政者として降臨させたと言う意味。彦は王。 >上(天子)は所司に、そこの風俗を尋ねさせた。 >使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、 天が邪馬台国で、日は近畿日本のこと。 >天が未だ明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、 >日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。 ここ。これは近畿日本へ実権を渡していることを言っている。 >高祖が曰く「これはとても道理ではない」。ここに於いて訓令でこれを改めさせる。 「そんな二重国家、三重国家のようなバカな統治があるか。近畿日本は認めんぞ。」と書いた訓令書を小野妹子に渡した。 そして小野妹子は恐らくは推古天皇の承諾のもとこれを紛失したことにした。 近畿日本にとって受け入れ難い内容だったから。 こういうこと。
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494 :名無しのひみつ[]:2020/05/23(土) 17:55:38.27 ID:z+m8DXbH - 隋の時代には、すでに九州倭国は近畿日本へ事実上の禅譲をしていた。
だから近畿日本はウソはついたが、簒奪はしていない。 ここ非常に重要。 ところが、肝心の煬帝がそれを認めようとしなかった。 これで話しがややこしくなった。
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495 :名無しのひみつ[]:2020/05/23(土) 18:05:01.58 ID:z+m8DXbH - 九州倭国は白村江の戦いで自滅したのであり、
近畿日本が攻め滅ぼしたのではない。 白村江の戦いは、近畿日本は参加していない。 九州倭国が勝手に戦いをして、勝手に負けて滅亡したのだ。 むしろ近畿日本は例えば磐井を筑紫の君呼ばわりし、 太宰府を遠の朝廷と呼び、 磐井の乱後も結局許して存続させている。 中大兄皇子が白村江の敗戦で九州倭国の滅亡まで即位を待ったのも 最大限の配慮をしたからだ。 近畿日本は、中国を欺くため当時の世界情勢から 仕方なしに神武東征の捏造をしたが、 簒奪者ではない。 日本の正統な政権である。 これは非常に重要なことだ。
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