- 【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★10
833 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[sage]:2018/11/19(月) 07:22:51.28 ID:Ay545liu - 九州は女王の記述や祭神や逸話が数多い
宇佐八幡や宗像大社やなどなど それもそれぞれ個性のある輪廓があるため複数の女王が居たことを示しているな これが日本全域そうだったかというとそういう雰囲気は無い それもその後畿内勢力と同化するため元来の文化の継続は失われたのだろう 九州の華の時代は半島との交易権を独占できた2世紀半ばまでということであり、倭国大乱は九州の制度変化をもたらしたものだと思う 逆に考えてみよう 畿内勢力は九州を制圧したというより、半島への交易権を奪ったと見た方が自然 それを達成するには鉄輸出の半島南部の港だけ押さえれば良い それが後の任那なのでは
|
- 【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★10
861 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[sage]:2018/11/19(月) 12:18:51.66 ID:Ay545liu - >>849
壱岐や伊都国と勢力争いが起こるなか奴国と畿内(出雲と吉備含め)が連携することで那国有利となり伊都国の交流が制限される結果北部九州の衰退が進む 奴国はヤマトを名乗り交易を有利に進める その経過に卑弥呼がいるのかもしれないな その後物産は全て畿内に流れ国内勢力が一変 九州の女王祭祀も同時に移入し畿内祭祀文化が始まる 弥生中期より本州経由の物産が集まるような一大物流都市だった為、富の蓄積が大きかった さらに畿内の人が文化に対する渇望があったのではないかと推測するね
|
- 【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★10
863 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[sage]:2018/11/19(月) 12:31:55.03 ID:Ay545liu - >>862
トヨや斎王が祭祀を引き継いだと考えていいと思うけどな 古墳は現世的主張の意味が大きいので畿内の基本である大王墓が殆どだと思う 女王墓というと箸墓がエポックメイキングだけど他は確かに怪しい 天照が奈良にいた痕跡は皆無なので 古墳時代には既に伝説になってたのでは 九州の女王文化の逸話や豪華さに憧れたのではと思う
|
- 【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★10
869 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[sage]:2018/11/19(月) 13:32:56.83 ID:Ay545liu - >>866
タウポ火山による寒冷化は面白い見解だと思う 天候不順による飢饉が発生する中、人々は何を思ったか想像すると当時の情勢に筋道が見えるような気がするね 民衆の渇望する対象が太陽そのものに変化しその結果天照大神が信仰されるようになったという では天照とは何物かと当時の人々が想像した時、かつての九州の女王文化を重ね合わせ、更に当時の現世的存在として適材のモモソヒメが祀り上げられたと思うんだな モモソヒメが元祖天照さらには卑弥呼とするには記紀の表現などが回りくどすぎる 因みに神功皇后は祭祀を担当するというよりも祭祀を利用して人心を把握し軍隊化し現世利益を求めた所に革新性と伝説性を感じる 宇佐神宮や宗像大社に漏れなく神功皇后が合祀されており、これはかつての九州の女王文化を利用した形跡なのではないかと思っている
|
- 【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★10
873 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[sage]:2018/11/19(月) 15:12:45.40 ID:Ay545liu - >>871
鏡祭祀や日ノ出の方向の山をご神体にすること、滅多に民衆の前に出ないこと これらは九州と三輪山に共通する祭祀の方法でさらには伊勢神宮も同様だな 男だと足りない何かが在るんではないか 全体感としては原始信仰の延長ではなく神を迎え自分のところに鎮座して頂くといった考えが近いように思う これは当時の考えとしてはユニークで、のちの仏教やキリスト教伝来に近い考え方だと思うんだ
|