- 【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★5
936 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/09/16(日) 22:42:49.63 ID:k1pEUYTG - >>930
最近、南九州では、高速道路を拡張するなか、 霧島から大隅半島までの都市があったみたいだし、9500年前の縄文時代は、 日本最大都市だったと鹿児島県が書いている。 ↓ 霧島(きりしま)市の上野原 (うえのはら)には、 約9,500年前の縄文(じょうもん) 時代初めの、 日本最古・最大規模(きぼ)の 定住集落跡(あと)があります。 竪穴住居(たてあなじゅうきょ)、 集石、連結土坑(れんけつどこう)、 土坑(どこう)、道跡(みちあと) など多数の遺構(いこう)が 見つかっています。 連結土坑(れんけつどこう)では 肉の薫製(くんせい)が 作られていたようです。
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941 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/09/16(日) 22:55:20.10 ID:k1pEUYTG - 霧島あたりには、まだ、発掘されていないものが、沢山ありそうだね。
高速道路の拡張で、発見されだした 古墳群もあるみたいだね。 ここなら、投馬国より南になるから、 なるほど、合点いきますね。 えびの、都城、霧島から大隅までやね。 あ、会稽の東にも当たりますね。 霧島山麓の古墳の特徴 霧島山麓には、前方後円墳、 ホタテ貝古墳 、五段環状の古墳、 円墳等、地下式横穴墓がある。 えびの市の島内地下式横穴群は、 現在300基。推定1000基とも いわれている。 えびの市島内古墳人は、 頭蓋計測値の分析結果、縄文的な要素を 残しながら、渡来系の遺伝子を 受け入れた集団という 報告書がある。
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942 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/09/16(日) 23:01:41.27 ID:k1pEUYTG - 縄文人と弥生人。
渡来人と縄文人。 彼らの交流が積極的に行われていたことは、 南九州では青銅器文化がなく、 鉄器の文化から急速に発展。 それは、えびの市の島内地下式横穴墓の139号に、銀装円頭大刀があり、 その柄間にまかれたところに 鮫皮巻(さめかわまき)装飾がある。 これは、 国内最古という聖武天皇の遺品 政倉院の太刀より200年遡るかな? また高級織物の経錦(たてにしき)で飾った 太刀もあり、長さが142センチ 国内最長かな。 あらためて霧島山麓の文化を みてみては、いかがかな?
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