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ニュースソース検討中@自治議論スレ
【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★5

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【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★5
62 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/09/11(火) 11:25:33.30 ID:CwMbxU3Q
>>56
短里は、ないとも言えないのでは、
ないかな。
【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★5
71 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/09/11(火) 15:32:13.28 ID:CwMbxU3Q
古代の人が、使用したテキストを、
短里あるなし、でなくて、
一里何メートルという数字が出てきたのを
どう捉えたらいいんだろうということ。

畿内説の畿も、
王畿は、方千里だし。
強いては、孫子の兵法にある
(山東省で、洛陽出身やないが、
時代は、近い


千里馈粮,士有饥色

千里先から、運ばれる(遠い先)、
食料や水は、結局、飢え、渇きは癒さない。
兵站は近くにあるべきの意味。
この千里も、450キロ離れた場所からと
捉えるより、
60ー70キロぐらいが、現実的やないの?
【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★5
76 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/09/11(火) 16:06:54.12 ID:CwMbxU3Q
>>73
紀元前4世紀には、渾天説があり、
渾儀もあったみたいだし。

古代において、“浑”の意味は円球をいみしている。古代の人は、
天とは丸く、ちょうど卵の外殻として
捉えている。そこに星が打ち付けられている。
地球とはその卵の中の黄身だと。
私達は、その黄身の上で、天体観測しているんだと。
AD104には、「黄道铜儀」もつくられてるから、しっかり把握していると思うよ。
【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★5
80 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/09/11(火) 16:53:09.67 ID:CwMbxU3Q
>>73
この時則訓は、
厳密にいえば、時則ですから、
季節、月を、ベースに解説しています。

現に、東の中に書いている
「句芒」は、五佐のひとつであり、
それぞれの方角は、
季節に応じた農業の神ではないですか。

この神話のなかの里よりも、
地形訓の里は、より実情に
そったものでは、ないですかと
思うわけです。


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