- 【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★4
622 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[sage]:2018/09/07(金) 10:47:48.52 ID:OYBFZLz2 - >>618
>「度海千里復有國 皆倭種」とは「関門海峡の本州側」ではなく,「四国(瀬戸内側を除く)」を指す >とみられる。 とすると、北部九州と本州は、「地続き扱い」ということでよろしいか? もう、nn氏のでたらめに付き合うのもうんざりなんだが
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623 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[sage]:2018/09/07(金) 10:48:58.73 ID:OYBFZLz2 - >>621
>奈良説は史書や道程や出土品の全てでアウトなのに それ、一つで二つでも、具体的に指摘してくれるかな? きちんと説明できると思うよ?
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628 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[sage]:2018/09/07(金) 11:26:02.07 ID:OYBFZLz2 - >>616
>当時は、円周率まで、把握していたよ。 それは半ばウソだな 『周髀算経』でも、円周率は3としている 例外的に正確なのが、新莽嘉量で、 これは円周率として3.155というかなり正確な値を使っていた http://ksbookshelf.com/DW/Kanjirin/appendix/Karyou.html より引用 ーーーここからーーー 当時は、円周率をどのような値と考えていたのでしょうか? 「新莽嘉量の寸法」に示した新莽嘉量にある銘文*1の数値を基に考えてみます。 「斛」を例にとれば、「方尺而圜其外,庣旁九厘五毫,冥百六十二寸」とあり、一辺一尺の正方形が内接する円の半径に九厘五毫を加えた大きさの底面(半径は上の「新莽嘉量の精度」の表のC 7.166寸)の面積は162寸2(冥百六十二寸)です。 ということは、 円周率(π)=面積/(半径×半径)=162寸2/(7.166寸×7.166寸)=3.15472427 となります。 同様に、円周率(π)を逆算してみると、「升」では 3.155604924、「合」「籥」では 3.160013732になります。 当時、円周率(π)=3.155 程度と考えられていたのでしょうか? それでは、円周率(π)=3.155 に変えて上の表を作り変えてみると、 G cm3=mL H mL I % 斛 19970.877 20000 -0.146% 斗 1997.088 2000 -0.146% 升 199.709 200 -0.146% 合 19.943 20 -0.285% 籥 9.972 10 -0.285% となります。 見事なほどの正確さですね。 二千年も前の、設計技術や、それを形にする工作技術の水準の高さには、驚かされます。 ーーーここまでーーー
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638 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[sage]:2018/09/07(金) 12:39:20.31 ID:OYBFZLz2 - >>625
>そもそもなんで箸墓がピンポイントで卑弥呼の墓になるんだ? これは、考古学とは半ば関係なく、日本書紀の記述に引きずられている 陵墓の造営記事は、実は記紀全体を見ても、箸墓の造営記事しか存在しない どんな大王、聖帝でも、陵墓の位置は書いてあっても造営の様子の記事はない それが、大王ではない一皇女の墓の造営記事があり、しかも 乃葬於大市。故時人號其墓謂箸墓也、是墓者、日也人作、夜也~作、故運大坂山石而造、 則自山至于墓、人民相踵、以手遞傳而運焉。 というものなので、いかにも「始祖王の陵墓」造営記事に見える これに引きずられて、箸墓が、始祖王=卑弥呼の墓という見方が出てきてるんだよ 普通は、記紀は史実として読まないことになっているので、記紀と考古学的な 発掘結果をリンクさせないし、公的には箸墓を卑弥呼の墓に比定する論文はないと思う 一般向け講演では、考え方の一つとして、よく紹介されるけどね
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