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ニュースソース検討中@自治議論スレ
【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]

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【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
235 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/06/14(木) 10:35:54.98 ID:Krq7dTGS
>>233
その理屈は無理です。

>南至投馬國、水行二十曰。
>南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。

全行程が「水行十日、陸行一月」なら、前段の「水行二十曰」と辻褄が合いません。

「南」と方角を指してるのが奇妙ですが、
古地図にある倭国が南北に長く描かれてるものがあることはご存知でしょう。

↓に掲載されてますが。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B7%E4%B8%80%E7%96%86%E7%90%86%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E5%9B%BD%E9%83%BD%E4%B9%8B%E5%9B%B3

この古地図では、南に行くということは、近畿に行くという意味になります。
当時の中国人の日本列島の認識はこの程度なんですよ。
【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
239 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/06/14(木) 12:10:27.84 ID:Krq7dTGS
いずれにしても、我田引水で解釈してる結果、
何十年かけても、九州説の中でも場所が統一できないという現状を見れば、
魏志倭人伝の行程を重視しても何かが決まるわけではないと、結論が出ています。

では、何を決め手にすればいいかと考えれば、
考古学的に、九州に強大な王権は存在せず、畿内にヤマト王権が生まれている、その事実だけを直視すべきです。
【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
243 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/06/14(木) 13:14:54.73 ID:Krq7dTGS
>>241
>力でおさえれるか?

まず、武力で制圧するという発想を捨てたらどうですか?

東遷説にしても、九州勢力が畿内を武力制圧したような痕跡は一つも発見されていません。
九州の銅剣や鏃が畿内で大量に見つかったなどという話しは聞きません。
逆もまたしかりで、
ヤマト王権が九州を制圧できたのは、武力によるものではありません。
近畿中心の経済圏に、九州が参画しただけのことです。
【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
244 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/06/14(木) 13:24:57.24 ID:Krq7dTGS
>>242
>出雲の国譲りと神武東征が何の歴史的事実に対応するのか考古学的解釈が知りたいので教えろください

神武東征の考古学的証拠はありません。
神話でも、神武の率いる少数部族が、先住民の抵抗にあいつつ、
なんとか奈良盆地の橿原に住み着いたというだけのことです。
けして、神武の軍隊が、近畿のクニグニを制圧したなどという勇ましい話しではありません。

出雲の国譲りは、記紀神話と、出雲風土記の内容が異なっているために、
後世の創作であることは明白です。
出雲のご当地の伝説では、「国ゆずり」という大事件を、記録していません。
【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
245 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/06/14(木) 13:29:11.15 ID:Krq7dTGS
記紀神話で有名な、スサノオのヤマタノオロチ退治の伝説にしても、
出雲風土記には登場しません。

ほかの地域の人が、スサノオの伝聞をふくらませてヤマタノオロチ伝説が創作されたことは明白です。
国譲り神話は、ヤマト王権に出雲が服属することを強調して、記紀の編纂時に創作されたと考えるべきです。
逆に言えば、記紀の編纂時においても、出雲がヤマト王権に完全に服従してなかったという傍証にもなるでしょう。
【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
246 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/06/14(木) 14:18:22.27 ID:Krq7dTGS
最も重要な点があります。

卑弥呼=アマテラスと考える方が多いと思われますが、
アマテラスもまた、後世の創作にすぎません。
卑弥呼=アマテラスとして考察する余地が無い以上、東遷説は成立しません。

ヤマト王権でアマテラスを初めて祭ったのは崇神天皇ですが、
崇神天皇は、アマテラスの神威が強すぎるというので、大和国から追放してしまいます。
そして、各地を転々として、今の伊勢に落ち着き、伊勢神宮が作られたのは7世紀の事です。
【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
247 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/06/14(木) 14:24:36.18 ID:Krq7dTGS
そのようなわけで、出雲風土記には天照大神は登場しません。

かわりに、出雲国造神賀詞には、高天の神王高御魂命が最高神として登場します。
出雲国造というのは、天津神の子孫の家系なので、天照大神のことは知っていないといけませんが、
神賀詞では触れていないわけです。

あくまでも、出雲国造の立場では、高天原の最高神は、高御魂命であり、アマテラスではないというのが立場なのです。
ここで、アマテラスを最高神とする7世紀のヤマト王権と対立してくるわけです。
ちなみに、アマテラスを皇祖神として祭ったのは、天武天皇ということになります。
【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
248 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/06/14(木) 14:35:23.99 ID:Krq7dTGS
記紀神話をよく読めばわかりますが、
高天原の最高神は、タカミムスビと、アマテラスの2柱となっています。

出雲国造が高御魂命として奉っていたように、もともとは、タカミムスビが倭国の最高神でした。
そこに、アマテラスをもぐりこませて、最高神を2柱体勢にしたのが、7世紀のことです。
壬申の乱で、天武天皇が天下を取ったときに、そのように神話を作り変えました。

もともとアマテラスは、八百万ある神の一人、伊勢の地方神でしかなかったのですが、
天武天皇はアマテラスの太陽信仰に傾倒したわけです。
そして、天武天皇以後、倭国の国号を、「日本」と改める流れになります。
日本からの遣唐使の井真成墓誌に「日本」という文字が初めて書き残されることになります。
【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
249 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/06/14(木) 15:02:11.25 ID:Krq7dTGS
では、アマテラスとスサノオの「誓約」とは何か?

アマテラスが後世の創作なので、この神話も基本的に後世の創作です。
出雲風土記に登場しない話しなので、異論は無いでしょう。
早い話、アマテラス=ヤマト王権と読み替えてください。
出雲がヤマト王権に服属したことを象徴的に述べていることになります。

誓約の結果、何が起きたかとというと、ヤマト王権は、宗像氏を取り込むことに成功しました。
宗像氏は、もともと出雲と同盟関係にあったわけですが、
出雲がヤマト王権に取り込まれたことで、宗像氏もヤマト王権のためにマツリゴトをするようになるのです。
宗像氏が祀る宗像三女神は、記紀神話では、アマテラスとスサノオの誓約で生まれたことになっています。

世界遺産にもなった沖ノ島は、宗像氏の聖地です。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E3%83%8E%E5%B3%B6
>沖ノ島で国家的な祭祀が始まったのは出土遺物の年代編年から古墳時代前期、4世紀後半頃と推測される。
>391年に倭国が高句麗へと出兵した際、北部九州が前線となった時期に相当する。
>また、宗像氏がヤマト王権の力を背景に朝鮮半島や中国(当時は北魏)との交易に乗り出したのも同時期であり、そうした遺物も確認されている

というわけで、誓約神話の成立時期も、古墳時代前期以後と考えられるでしょう。
【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
250 :ニュースソース検討中@自治議論スレ[]:2018/06/14(木) 15:30:48.64 ID:Krq7dTGS
誓約神話のキモは、アマテラスとスサノオの誓約で、宗像氏の宗像三女神が生まれてること。

宗像氏は九州の氏族なので、
邪馬台国九州説で、アマテラス=卑弥呼なら、
出雲を服属させた後で、宗像氏を従属させるなどという、まだるっこい手順は必要ないでしょう。


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