- 【考古】ヤマト政権の勢力まざまざ 新潟の遺跡が古代史変える
156 :名無しのひみつ[]:2012/09/09(日) 12:10:52.90 ID:G/ETd2nH - 新潟市の蒲原祭で知られる蒲原神社は、いつも負け組に巻き込まれる不運な神社だ。
元は金鉢山に鎮座した式内社「青海神社」だったが、南北朝の争いに敗れ廃滅された。 だが生き残った神官たちは、木火土金水の五行の五神を農業と自然の神として祀り「五社宮」としてかろうじて青海宮を存続させた。 そして戦国期、新発田重家が信長に付き上杉景勝に背き、今度こそ蒲原勢が勝つか、と思いきや……。 本能寺の変で、信長軍は越後侵攻を中止、またも負け戦に巻き込まれた。 さらに戊辰戦争では幕軍が金鉢山に布陣、金鉢山は焼け野原と化した。 五社宮は山の下に「五社神社」として移転したが、明治の終わりには誰もが「蒲原神社」と呼んでいたという。 正式に「蒲原神社」と改名したのは昭和58年だそうだ。 この蒲原神社の祀る祖神が椎根津彦(しいねつひこ、『日本書紀』、槁根津彦さおねつひこ、『古事記』)で、神武東征で速吸門の水先案内をして倭国造に抜擢された倭直である。 倭氏は倭直→大倭直→大倭連→大養徳忌寸→大養徳宿禰→大和宿禰と改名しながら、そこそこに出世したようだ。 平安朝の世に大和宿禰の支族が蒲原郡に封じられたというが、その出自が海人族なのでやはり船舶・港湾の運営を任されたということなのかもしれない。 大和神社、大和大国魂神社の祭神とその経緯を考えるとこちらも出雲系で、ヤマト朝廷に簒奪された疑いもある。 倭氏の新潟での名残りは、椎谷(関連ある?)という柏崎の地名・藩名・氏名や倭氏支族の青海氏に見られる。
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28 :名無しのひみつ[]:2012/09/09(日) 12:56:15.08 ID:G/ETd2nH - 我が半万年の檀君神話を象徴する王、后の遺骨を安置した、なんぴとたりとも壊せぬ堅牢な墓陵があるニダ!
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- 【考古】ヤマト政権の勢力まざまざ 新潟の遺跡が古代史変える
158 :名無しのひみつ[]:2012/09/09(日) 16:47:19.70 ID:G/ETd2nH - 佐渡の本間氏のルーツは武蔵国造の横山党。
横山党は小野氏(小野妹子、小野篁など)を自称しているが、 実際は大半の坂東者同様に出雲国造。 埼玉の鷲宮神社の主神天穂日命とその子の天夷鳥命(建比良鳥命)を租神とする。 関東最古の神社も出雲系ということだ。 4世紀のことなのか、それ以前のことなのか、ともかくもヤマト朝廷の侵攻以前は今の新潟も関東も出雲勢力の土地だったのだ。 ちなみにお金持ちで有名な山形の本間さまは、上杉の佐渡侵攻の際、本家を裏切って上杉に付いた分家で、上杉の国替えに付いて米沢に移っていったという。
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