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名無しのひみつ
【考古】ヤマト政権の勢力まざまざ 新潟の遺跡が古代史変える

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【考古】ヤマト政権の勢力まざまざ 新潟の遺跡が古代史変える
8 :名無しのひみつ[sage]:2012/09/06(木) 18:44:06.13 ID:UKu2viVM
 八切止夫は、昔の庶民の住居とからめて「オケラ」という言葉の意味を説明している。
 オケラは土中に穴を掘って棲む昆虫だ。
 また競馬場でスッテンテンになって、駅までとぼとぼ帰る道をオケラ街道と呼ぶらしいが、
 「オケラになった」とは持ち物が全てなくなったことを言う。
 
 藤原王朝時代(平安時代)には、平家系・源氏系の在来日本人は「根」と呼ばれた。
 鎌足をはじめとする藤原氏は支那からの進駐軍、いわばGHQだったのであり、
 在来日本人=反体制派を武力で抑えて賤民に落としていたわけだが、
 その反発から来る反乱を封じなければならなかった。

 おとなしく従う日本人には農業、漁業をやらせていたが、
 あくまで帰順しない者はいわゆる差別して部落に押し込んでいた。
 時に彼らを皆殺しにすることを「根絶やし」と称したのである。

 岩手や青森あたりに「一の戸(へ)」「二の戸」…「八戸」とあるのは、バリケード(関所)のことで、
 そこで中央政府(藤原氏)が在来日本人を出てこられないように阻止していた。
 そうすることを「根」にフタをするから「根蓋」といった。
 今のネブタ祭の起源である。

 中央政権=藤原氏が派遣した、在来日本人を討伐する司令官(征夷大将軍)の
 坂上田村麻呂の絵によってネブタ祭の山車を飾るのは、お上の命令に従っているのだ。
 本当は自分たちの先祖を虐殺した軍人である坂上田村麻呂を祭るなんて、悲しいことだが…。
【考古】ヤマト政権の勢力まざまざ 新潟の遺跡が古代史変える
9 :名無しのひみつ[sage]:2012/09/06(木) 18:45:49.45 ID:UKu2viVM
 征夷大将軍の征夷の「夷」とは、アイヌのことではなくて、われら日本原住民の先祖のことである。
 それを征伐した朝廷と朝廷軍のトップはほぼ全て外国人であった。
 だからネブタ祭の田村麻呂の絵は、関羽・張飛のような中国の将軍みたいな顔をしている。
 ねぶた祭のHPを見ても、キレイごとしか書いていない。都合が悪い事はみんな蓋をしている。

 さてその討伐の仕方が残酷で、降伏しなかった日本原住民は穴居縄文人だったので、
 穴に火のついた藁たばを放り込まれて蒸し焼きにされた。

 米軍が第二次世界大戦中、日本軍が守備する島嶼や沖縄で
 洞窟に立てこもる兵を、火炎放射器で焼き殺したのと同じである。
 これによりみな焼け死んだ。
 それで完全に処理したという表現を「オケラにした」と言うようになったそうだ。

 そういえば! と、みなさん思い当たるでしょう。
 今も中共がチベットや東トルキスタンで悪虐のかぎりをつくして在来民族を痛めつけているのを。
 藤原氏は支那から派遣された軍人だったから、わが祖先らをこういう残酷な仕打ちにしたんだなと。
 やつらのDNAは変わらないという事である。


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